ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『水の墓碑銘』パトリシア・ハイスミス:著 柿沼瑛子:訳

 入院中に読んだ本で、そのままにしてあったのを今ごろ感想を書いておく。

 これまた、「奔放な妻と神経症的な夫」という、ハイスミスお得意のコンセプト。まあ人によっては「またそんな話かよ」と思うこともあるかもしれない。今まで読んだ『ふくろうの叫び』も『殺人者の烙印』もそうだったし(『ふくろうの叫び』は、そんな夫婦が離婚した後の話だったが)、昨日読んだ『妻を殺したかった男』も、「奔放な妻」というわけではないにせよ、異様にエキセントリックな女性だった。そして、どの作品でもその妻は、夫に殺されるなり他人に殺されるなり自殺するなりして死んでしまうのだ(ん? ネタバレしちゃったかな?)。

 これはもう、ハイスミスの「悪意」というか、「女性嫌い」というのは彼女には一貫していて、『女嫌いのための小品集』というタイトルの短編集まである(ここでの「女嫌い」は「Misogyny」のこと)。
 しかしハイスミスは周知のように同性愛者であるわけで、こういう「女性嫌い」というのが彼女のカモフラージュなのか、「好きな女性はいるけれども、嫌いな女性は徹底して嫌いだ」ということなのか、わからない。

 さて、この『水の墓碑銘』だけれども、主人公はかなり辺鄙な町の、「地元の名士」といわれている知性ある資産家の男なのだが、その妻は実に奔放で、相手の男をとっかえひっかえして浮気し、その浮気を夫にも見せつけるように行動する。しかし夫は「地元の名士」らしくも見て見ぬふりをしているというか、気にしていないような態度を取りつづけている。
 昨日読んだ『妻を殺したかった男』では、主人公の内面に深く踏み込んだ描写だったのだが、この『水の墓碑銘』ではハイスミスは客観描写に徹底するというか、登場人物の内面はその行動によって推し量るしかない。そこに、『妻を殺したかった男』とはまたちがったこの作品の面白さがあるのだが。

 妻の浮気に「平然」としていたような主人公は、別の地元名士の開いた大きなパーティーの場で、偶然妻の浮気相手と二人きりになる。そのとき主人公は男に襲いかかり、溺死させてしまう。平然と主人公は皆が集まって飲んでいるラウンジに戻り、誰も目撃者もなく男の溺死は「こむらがえり」でも起こしての「事故死」とされる。
 しかし、後日おそらくは探偵らしき男が町に来て、一般人を装って男の溺死の真相を調べていることを主人公は気づき、言葉巧みに探偵を脅して追い出してしまう。
 妻の浮気癖はおさまらず、またすぐに、町にやって来た不動産屋の男と遊び始める。主人公は「いい土地がある」とその不動産屋に持ちかけ、郊外のかつては石切り場だった、切り立った崖の下に深い池のあるところに連れて行き、不動産屋を突き落として殺す。主人公は崖の下に降りて死体をテント布で包み、重しをつけて池の底深くに沈めてしまう。
 妻はついに主人公との和解話を持ち出すのだが、同時にすべてが破綻する事態が起ころうとしていた。

 実は主人公は「狂気」ともいえるような分裂症的な内面を持っているのだが、ついにラストにその狂気が爆発するのだ。

 実はこの作品は昨年アメリカで映画化され、近々日本でも『ディープ・ウォーター』のタイトル(原作のタイトル)で公開されることになっていたが、今は映画館もすべて閉鎖されて公開スケジュールも大幅に狂い、いったいいつ公開されることになるのかわからない。
 その映画版だが、主人公を演じるのはベン・アフレックで、その妻には『ブレードランナー 2049』に出ていたアナ・デ・アルマスという女優さん(知らない)。
 それで監督してるのがなんと、わたしの中では悪名高いエイドリアン・ラインということで、「いったいどんな映画になっちゃうんだろう?」と心配してるのだが、心配したとおり、宣伝文句には「エロチック・スリラー」という文字が見られるようだ。‥‥って、ハイスミスの原作には「濡れ場」なんか一切ないし(そういうことを書く作家ではない)、そりゃあ妻が浮気するわけだからいくらでもエロチックに演出できるだろう。
 まあベン・アフレックは以前にデヴィッド・フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』という映画に出演していたわけで、その『ゴーン・ガール』の原作はちょっとハイスミス的なイヤな感じのミステリーで、夫がとんでもない妻(ロザムンド・パイク)に翻弄されるという映画だった。エイドリアン・ラインも当然そのことを意識して、デヴィッド・フィンチャーに対抗するつもりで撮ったことだろうから、けっこう期待できるのではないかと思っているのである。
 早くまた、映画館で映画が観られる世界に戻ってほしいものである。