ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-04-02(Thu)

 驚いたニュース。昨日安倍首相は「全世帯に布マスクを2枚ずつ配る(郵送する)」ということを発表した。「洗濯して繰り返し使えますよ」ということらしいのだが、そもそもが政府は2月の時点で「使い捨てマスクを増産し、一ヶ月のうちに皆が入手できるようにする」と言っていたのが「空手形」に終わっていたわけだが、それでこの策である。
 先月中旬(ちょうどわたしが入院した頃)からの「自粛」要請によって、多くのフリーランス、個人業主の人々の収入が激減し、「自粛」というのは「補償」がともなうもの、一刻も早くそういう人たちへの「補償」を、という声が上がっていた中で、その補償が「マスク2枚」なのか。

 今でもマスクはどこにも売っていない。入院していたときも、病院内のコンビニにもマスクは品切れだった。先日ネットで読んだ話があって、事実かどうかの確証はないけれども、とある病院だかどこだか、高齢者たちが集まるような場所のロビーで年配の人が会話していて、「わたしは(マスクを)500枚集めたよ」「わたしはまだ10箱だ」とか話していたという。じっさい、ドラッグストアとかにマスクを求めて開店前から店頭に並んでいる人たちは毎回同じ顔ぶれの人が多く、店の人は「また同じ人に売るのか」とやり切れない思いでいるそうな。
 500枚集める人がじっさいにいるとして、1日に1枚使っても1年半の分以上はあるわけだし、もしもそれが2人暮らしの2人分だとしても8ヶ月分になる。まあ「買い占め」とはそういうものだろうけれども、マスクを「護符」か何かのように思い、たくさん集めれば集めるほど、それだけで自分が守られるとでも思っていそうだ。そして、自分が買い占めることで、ほんとうに必要としている人たちにマスクが買えなくなるということには無頓着なんだろう。「社会」という考えが欠如しているのだと思う。

 しかし、「マスク2枚」にはまいった。ネットではすでに「アベノマスク」と揶揄されているが、国民のことを何と考えているのだろうか。こっちも「社会」という考えが欠如しているのではないだろうか。そもそもわたしは以前、わずかに売れ残っていた「子供用ガーゼマスク」3枚を買ってある。いざとなったら使おうと思っているわけで、今の時点で布マスク2枚は正直そこまで必要ではない。でもそんな布マスクでも、今の時点で1枚でも多く必要とする機関、団体、NPOなどはあるのではないかと思う。もしもそのマスクが政府からウチに配達されたら、封を切らないでそのまま、必要としているところに、送料はわたしが持って転送したいと思う。

 今日は青空で春らしい陽気のようだけれども、テレビをみていると外は風が強いらしい。今日は午後2時に会社の方が来られるというので、昼食のあと、ちょっと早めに駅へと向かった。たしかに風が強い。かぶっているニットキャップが飛ばされそうだ。とちゅうで時間を確認しようとポケットからケータイを出してみると、つい5分ほど前の不在着信と留守電メッセージがあった。風の音で着信音が聴こえなかった。留守電を聴こうとしても、これまた風の音でよく聴こえない。そのいらっしゃる会社の方からのようだが、まだいらっしゃるという2時にはちょっと時間がある。とりあえず駅まで行って風を避け、そこで留守電を聴き直そうと思った。
 駅に着いて留守電を聴くと、会社の方は駅に着いて、これからわたしの部屋に向かうということだった。きっと、どこかでわたしとすれ違ってしまったのだろう。お互いに顔を知らないからわからなかったわけだ。
 すぐに電話をして、「わたしは駅の改札の前にいる」と伝えると、「では今から駅に戻ります」ということ。留守電をすぐに聴けなくて申し訳ないことをした。

 数分して会社の方2人が来られた。初対面である。「近くに喫茶店があるので、そこでお話ししましょうか」と持ちかけると、会社としても「狭い場所に入って集まることはしないように」となっているそうで、外でお話しする。わたしの部屋に来られるといっても、部屋に入るのではなくドアの外で話をするおつもりだったのだろう。しかし駅の構内の方が風の影響がないから、これはこれでよかった。
 お話は「労災に提出する書類に書き込んでいただきたいところがあるので、書き込んでそのあと入院していた病院へ提出してほしい」ということだった。ちょうど明日国分寺のクリニックへ行くので、その前に飯田橋で下車して病院へ行って書類を渡せばちょうどいいだろうと考える。「ゆっくり休んでください」とのことばをいただき、お見舞いをいただいてしまった。

 会社の方とお別れして、わたしはせっかくここまで出て来たことだし、駅の向こう側には車窓から見える桜並木があるので、風は強いけれども天気はいいので、そこまで行ってみようと歩いてみた。

 せいぜい5分歩いて、桜並木の道に着いた。小さな川が流れていて、その両岸はブロックではなく草が生い茂っていて、川に沿った道に桜並木がつづいている。今日の風のせいか、もう花は散り始めている。花びらが風に飛ばされて舞っている。

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 川べりでは釣りをしている人が何人か見かけられる。「釣り」という趣味はこういうときにいいなあ。今、世間では「ソーシャル・ディスタンシング」ということが言われ、人と人との距離を取るように推奨されているのだが、「釣り」はそんなソーシャル・ディスタンシングもバッチリではないか。

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 川には鴨も泳いでいた。川の水は澄んではいないけれども、のどかな風景でこころがなごむ。

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 おそらくは今年の桜スポットを見るのもこれでおしまいだろう。ゆっくりと道を歩いて桜の花をながめ、帰路に着いた。

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 駅に戻ってみると、なんと電車が上下線ともストップしていた。路線のどこかで風に飛ばされてきたビニールか何かが架線に引っかかったらしい。会社の方もきっとストップした電車に乗っておられるのではないかと思う。

 帰宅して、いただいた「お見舞い」を開けてみると、「おまんじゅう」のセットだった。一人では食べきれないぐらいの量がある。ありがとうございました。

 さて今日はもうひとつやっておきたいことがある。それは入院費に関して、「高額療養費」の補助というのがあるわけで、収入に応じた自己負担限度額以上の入院費は還付されるのだ。手元にある病院でもらったプリントによると、「市役所の健康保険窓口」に申請し、「限度額適用認定証」というのをもらうことになっている。ただ、そのプリントに書かれていることは、その認定証は事前に申請し、入院当日に病院に提出するように書いてあって、わたしはもう退院しているからどうなるのかわからない。娘に話を聞いていた記憶はあるのだが、それがどういうことだったか忘れてしまっている。とにかくこういうことは早くやっておいた方がいいので、今日、市役所に行くことにした。電話で聞くと、市役所本庁舎でなくても駅前の支所で対応できるというので助かった。

 しかし、退院してからいろいろと歩き回ったりからだを使ったりと、退院直後の養生するべき時にハードワークがつづいたのでまたこれから我孫子の駅まで歩きたくない。
 じつは、市内をくまなく巡回するバスがあって、どのバスも我孫子駅へ行く。そのバス停がウチから2分もかからないところにあるのは知っていた。ネットで時刻表を調べるとちょうどいい時刻に来るようなので、時間に合わせてウチを出た。
 やって来たバスに乗り込んだのだが、このバスの経路というのが、まさに「くまなく」というか、グルグルと迂回するような道を進み、いちどはさっき行った地元駅の前まで戻ってしまう。急いでいるときなら「なんてこった!」とイライラすることだろうが、時間はあるのでゆっくり構える。「へえ、こんな道があるのか、知らなかった」とか外を見て思いながら、歩いて行くよりもはるかに時間をかけて我孫子駅前に到着した。

 支所に行って用件を話すと、担当してくれた方には仔細はわからず、本庁舎に電話してくれたりしたのだが、やはり「それは入院前にすることですね」ということで、わたしは該当しないのだという。それ以上のことはわからず、もしも「高額療養費」制度が適用されなかったらどうしよう!と焦る。まあこの件も明日入院していた病院へ行くので、そっちで聴いてみようということにして帰宅。帰りは歩いて、とちゅうにスーパーに寄り道して、いろいろと心配をかけてストレスもためさせてしまったニェネントのために、おやつを買って帰った。わたしはまた疲れてしまったので、またパックのごはんにレトルトのカレーでの夕食ですませてしまった。こういう食事をしているうちは、まだまだ「自分の日常が戻ってきた」とは言えない。