ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ふくろうの叫び』パトリシア・ハイスミス:著 宮脇裕子:訳

ふくろうの叫び (河出文庫)

ふくろうの叫び (河出文庫)

 ちょうどこの本を読み始めたころが、パトリシア・ハイスミスの99回目の生誕日だったようだ(当然、とっくに「故人」ではあるが)。パトリシア・ハイスミスが大好きなわたしは、「なんだか呼ばれたんだな」みたいな気もちにもなってしまった。

 このところ読書が不調なわたしとしては、「何か、すっすっと読み進められる本を読みたいな」と本棚から引っぱり出したのがこの本だった。やはり面白くって、一気に読んでしまった。

 パトリシア・ハイスミスといえば、アラン・ドロン出世作(マリー・ラフォレも出ていたのだ!)『太陽がいっぱい』とか、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』で一部に知られているけれども、この、「人のわるい、いじわるな小説家」の作品のペースに一度ハマってしまうと、そう簡単には抜け出せない。まあ『太陽がいっぱい』や『見知らぬ乗客』はそこまでに底意地が悪い感じでもないけれども、この『ふくろうの叫び』あたりになると、大げさにいえば「この世の中で何を信じればいいのか?」みたいな感覚になったりもする。

 あんまりこの作品のストーリーを書きたくはないのだけれども、この作品には主に4人の登場人物がいる。ほぼ主人公はロバートという30近い男性で、ニッキーという女性と離婚して郊外の集落に転居して来ている。精神的に「鬱」なところを持ち合わせた男性なのだけれども、彼はついつい、同じ集落で一人暮らしをしているジェニーという若い女性の住まいに立ち寄り、影からジェニーの生活ぶりを盗視することに自分の慰みを見つけてしまう(いわゆる、性的な「覗き」ではないのだ)。ジェニーにはグレッグという彼氏がいるのだけれども、どうも彼とはフィットしないところがあるようだ。それでジェニーはある夜に盗視するロバートをみつけてしまうのだが、部屋の中に招き入れ、以後ふたりは親しくなってしまう。ジェニーはどこか極端なロマンティストで、ロバートこそが「運命の人」と思い込み、ロバートとの仲を親密にして行く。まあグレッグという男はフラれるわけだが、そのことは当然面白くない。前に聴いていたジェニーの話から、ロバートという男は「覗き」のヤツではないかと思う。グレッグはちょっとサディスティックなマチズモな男で、自己中心な想念の男ではある。このグレッグがロバートの前妻のニッキーに連絡を取ることから、歪んだ世界が現出する。このニッキーという女性がまた自己中心な人物で、簡単に言えば自分に群がる男性の利用できるところは利用し、自分から離れて行った男性のことはぼろくそに誹謗するような女性なのである。
 ロバートは「鬱」的性向があるとはいえども人物判断は的確なところがあり、急速に自分にのめり込むジェニーに「危うい」感覚を持つ。一方でニッキーと結託したグレッグは反社会的な側面に滑り落ちてしまう。ストーリー紹介はこのあたりまでにしよう。

 とにかくは、ロバートはいろいろなことから「この人物は異常なのではないか」という視線を周囲から向けられるし、じっさいに警察の嫌疑の対象にもなる。ここでのロバートの隣人らの描写が秀逸というか、まあ「よそ者」といえるロバートに「まともじゃないね」という視線を向け、じっさいにそのような対応もする。実はこの小説のいちばんのかなめは、事件の顛末よりも何よりも、このロバートの周辺の人たちのロバートへの対応ではないのかと思えるところがある。これは今でも、例えばSNSなどで起こっているいわれのない中傷に共通するところもあるし、「じっさいにこういう環境に自分がいたならば公平な視線をロバートに向けることが出来るだろうか?」ということは自分に問わなければならない。わたしには自信はない。
 もちろん。このことをサポートする警察の無能さということもあるけれども、この、読み終えたあとに笑ってしまえばいいのか、うんざりすればいいのか、こういうところにハイスミスの作品の真骨頂があるのだろうと思う。
 人の生きざまとは、どこか笑ってしまうところもあるだろうし、うんざりしてしまうところもあるのだろう。しかし、その奥にどこか、崇高なもの存在を思わせてくれる(決して「宗教的」な意味合いではないが)。そこにパトリシア・ハイスミスの作品に惹かれる自分がいるのではないかと思うのだった。

 ちなみにこの作品、あのクロード・シャブロルがその晩年(でもないか)に映画化している。男優のことは記憶していないが、ジェニーはマチルダ・メイが演じ、ニッキーを『エリザとエリック』とかを監督したヴィルジニー・テヴネが演じていたのだった。むか~し観た記憶があるが、かなりこの原作に忠実に映画化していたという記憶がある。せっかく原作を読んだのだから、また観てみたいものだ(DVDはとっくに廃盤だった)。