ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『完訳グリム童話集3』グリム兄弟:著 池田香代子:訳

完訳グリム童話集 3 (講談社文芸文庫)

完訳グリム童話集 3 (講談社文芸文庫)

 ついに、グリム童話全200話、おまけの「子どものための霊験譚」10話をすべて読み終えた。いわゆる「ヴァリエーション」的にほとんど同じような話も多いわけで、読んだはじから忘れて行くところはある。

 池田香代子氏の「あとがき」を読んで、この「グリム童話」がいかに日本で紹介され、地方に伝達して行ったか、というあたりが興味深い。わたしなども明治期に巌谷小波グリム童話を翻案して日本流にアレンジし、日本中に広まったことは多少知ってはいたけれども、さらにその前に菅了法という人(この人の前身は僧侶である)がグリム童話を翻訳していたらしい。これらの翻訳されたグリム童話は「口演童話」として全国に広まり、各地で「その土地伝承の昔話」的なものに変貌してしまう。のちに柳田國男が日本の昔話を収集したときにも、「おやゆび太郎」などは「これは外国の語り方ではないか、注意すべし」として日本昔話から取り除いたらしいのだけれども、いくつかの「グリム童話」原典の話は「日本の昔話」として採録してしまっていたらしい。

 今の若い人たちのことはわからないが、まだわたしなどの世代では、その根源の「物語」というものの体験の、その根底のどこかに「グリム童話」というものがあった気がする。
 例えば今の人たちならばテリー・ギリアムの映画『ブラザーズ・グリム』というのがあったように(これも古いか?)、わたしの世代には『不思議な世界の物語』という、グリム兄弟の伝記にオムニバス的に「グリム童話」をちりばめた映画があったものだった(わたしは親にねだってこの映画を観に行ったのだった)。その映画に出て来た、螺鈿細工のような美しい「ドラゴン」のことは、今でもまだ記憶している。

 グリム兄弟がこの「童話集」を編纂した意図はあれこれとあるようだけれども、結果として、人の持つ原初的な「想像力」というものの大切さをこそ、幼いガキンチョどもの記憶に焼き付けるという、例えばそれは「読書」というものの原初的な体験を人に与える、ということにはなったのではないだろうか。「グリム童話」は<不滅>であろうと思う。