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『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975) 新藤兼人:監督

ある映画監督の生涯 [DVD]

ある映画監督の生涯 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 角川映画
  • 発売日: 2001/09/10
  • メディア: DVD

 1975年に製作され、1976年のキネマ旬報ベストテンの日本映画1位に選ばれた作品。監督はかつて溝口健二に師事した新藤兼人で、この作品は主に溝口と近しかった俳優、スタッフなど40人ほどの人たち(映画人)へのインタビューで成り立っている(一部に市井の人らへのインタビューも含まれているけれども、ない方がいい)。

 溝口健二が監督としてその映画人生のスタートを切るのは1923年のことだけれども、当時の作品は現存していない。そこを、このサイレント映画時代の演出手法や撮影所の様子などがあれこれの証言者によって語られ、このあたりは日本映画の歴史の一面として興味深い。このように、日本の映画という表現形式の中で溝口監督の作品を解き明かして行くようだと面白かったと思うのだけれども、どこかでこの作品は脱線していく(見ていれば、どこでその「脱線」が始まったのかは明確にわかるわけだけれども、そのポイントがどこかは書かないでおく)。それは溝口監督のスキャンダルであり、ゴシップであるように思える。正直、つまらない。それはたとえば精神を病んで入院した夫人がこのときまだ存命のはずと病院に取材に行くシーンなど、「いったい何を撮りたいのか」という気分で見てしまうし、『楊貴妃』で溝口監督に執拗に演技を批判されて途中降板した入江たか子にそのことをちょくせつ問うなどというのは、見ていて気もちのいいものではない。溝口健二監督が、人間として欠点を持つ存在であったことはわかっているが、ことさらに追及するのはどうだろう(ハラスメントの被害者にことさらにその当時のことを尋ねるのも二次ハラスメントにならないか?)。

 もちろんそういうゴシップの追及めいた製作姿勢から、田中絹代の興味深い発言を引き出したりもするわけだけれども、観終わって、「じゃあ溝口健二の作品のことをこのドキュメントはどう考えているのか?」ということはあまりわからない。新藤兼人は「溝口健二反戦映画を撮れるような監督ではなかった」というが、自分が反戦映画を撮っているからといって、そこに「映画の本質」があるかのような発言には納得はできない。それに、新藤兼人自身が溝口監督に師事したわけであったのだから、もっと彼自身の溝口監督の思い出をどこかで語ってもよかっただろうし、監督としての立場から、もっと溝口監督の作品を分析して語ってもよかったのではないか。
 そういうところでは、たしかに監督の演出姿勢の一端は伝わるのだが、けっきょくこのドキュメントでは監督と俳優との関係こそを追い求めるわけで(それがつまりは「ゴシップ」の追及、という印象につながる)、せっかく宮川一夫もインタビューを受けているというのに、監督と撮影との関係をまるで問うていないことはあまりに残念だ。ただ、(これは宮川一夫の撮影ではないが)『残菊物語』での、あのすばらしい、スイカを食べるシーンをすべて紹介していたのはうれしかった。

 あらためて書いておけば、「溝口健二とは誰か?」と問うことは「映画(とりわけ<日本映画>)とは何か?」ということを問うことではあるだろうと思うのだが、新藤兼人監督にはそういう問題意識はなかったようにみえる。そして、このようなフワフワしたドキュメンタリーがその年1976年の日本映画のベストワンに選ばれているということにも、「ああ、日本の映画人(批評家ら)は、真剣に<日本映画とは何だったのか?>ということは考えていないわけだな」との感慨を抱くことにはなってしまうのである。