ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』クリストファー・R・ブラウニング:著 谷喬夫:訳(ちくま学芸文庫)

 今、ツィッターをみていると、「普通の日本人」とプロフィールに書いている人物がたいていは安倍支持の反動右翼、レイシスト(いわゆる「ネトウヨ」)であることもあり、そういう「自分は<普通>」という人たちが、例えば日本では関東大震災の時に朝鮮の人たちを虐殺し、戦時下では南京やマニラでの<大虐殺>を起こしている。そのような<犯罪>を犯した日本人らは、生活の上では温厚な人ではなかったのだろうか。
 今の日本でも、朝鮮の人たちを排斥しようとするレイシストの活動が目立つようになっている。そういう<レイシスト>たちを「普通の日本人」と呼ぶことは出来ないだろうが、どうも一般の人たちの精神においても「嫌韓」という意識は広まっているみたいだ。
 はたして、そんな「嫌韓」意識を持つ「普通の」人たちは、<有事>の際、あの<ホロコースト>のような行動を取るのだろうか? もしも日本人がそのような行為を行うとして、それはどのようなきっかけによることになるのだろうか? そういうことを知りたくてこの『普通の人びと』という本を読んだ。

 「警察予備大隊」とは、いわゆる「軍人」、「兵士」ではない。いわゆる通常警察なわけだけれども、つまり「国防軍」ら正規の軍隊の背後でさまざまな「警察的」業務に携わっていたらしい。ここで取り上げられた「第101警察予備大隊」はハンブルグで徴収された人びとで構成されていたようだが、つまりは徴兵の対象になっていなかった人びとを多く含み、四十代の人もかなり含まれていたという。
 そしてその「第101警察予備大隊」はポーランドに派遣され、まずはポーランドユダヤ人らの虐殺を携わることになる。

 わたしは不勉強で知らなかったのだが、ヒトラーナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)はアウシュヴィッツなどの「絶滅収容所」によるものだけではなく、まずは森などにユダヤ人を連行して射殺する「虐殺」があり、これはホロコーストによるユダヤ人犠牲者600万人のうち、20パーセントから25パーセントの数になるのだという。その「射殺」の具体的方法はこの本に書かれているが、おぞましくも残虐で、想像するだに恐ろしい行為だと思う。
 この「ユダヤ人射殺」に、「第101警察予備大隊」があたることになる。さいしょの虐殺、1942年7月のユゼフフでは1500人のユダヤ人が森に連れ込まれて撃ち殺されている。
 このとき、総括指揮者であったトラップ少佐は悩み、警察隊員に「やりたくないものはやらなくてはいい」という選択権を与え、自らも命令を出したあとに泣き崩れていたという(彼は戦後の裁判で死刑になるが)。
 警察予備大隊の隊員はそのように「いやなら参加しなくてよい」というサジェストを聞き、何人かの隊員は「やりたくない」と指令を拒否する。その数は5パーセントから10パーセントだという。
 第101警察予備大隊によるユダヤ人虐殺は、1943年11月までに3万8千人の数にのぼり、さらに絶滅収容所へ、彼らの運命を知りながら強制移送させたユダヤ人の数は4万5千人に及ぶ。

 著者のブラウニングはこれらの「事実」を記述しながらも、隊員のさまざまな対応について考察していく。中にはサディスト的に殺人を楽しむような「クソ野郎」もいたし、可能な限りユダヤ人に救いの手を差し伸べようとしたらしい隊員もいた。しかし、多くの隊員は結果として、ユダヤ人の殺りくに協力していたのだ。それはなぜか? ヒトラーの「ユダヤ人絶滅計画」に賛同したのか?

 この書物は「あとがき」が長い。それは、この書物が出版されたあとに、ダニエル・J・ゴールドハーゲンによる『普通のドイツ人とホロコーストヒトラーの自発的死刑執行人たち』という書物が話題を集めたことにより、ブラウニングによる、そのゴールドハーゲンへの「反論」が大きなスペースを占める。
 かんたんに言えば、ゴールドハーゲンは当時ヒトラーの「ユダヤ人殲滅計画」がドイツ人全般に浸透していた結果としての「虐殺」があった、というわけだが、そこにブラウニングは「異」を唱える。

 わたしは、この「あとがき」などを読んだ限りでは、ゴールドハーゲンの主張は一面的すぎるのではないかとは思うのだが、この書物で書かれているブラウニングの主張も、どっちつかずであいまいなところがあると思う。
 つまり、わたしはなぜ「普通に平和な生活を営んでいた人が、<人を殺める>という<一線>を越えてしまうのか?」ということこそ知りたかったのだが、「その<一線>を越えない人は5~10パーセントいたよ」ということはわかったものの、残りの90~95パーセントの人はなぜ、<人を殺める>ということを遂行したのか、そこに「躊躇」はなかったのか? 躊躇があったとしたらそれはどのようなもので、彼はどのような意識でその「躊躇」を乗り越えたのか?ということを知りたかったのだ。

 ひとつ学んだのは、この本の中にちょっとだけ、アドルノの『権威主義的パーソナリティ』の紹介があり、そこにその権威主義のリストが書かれていた。それは、

・因習的価値への厳格な固執
・権威ある人物に対する服従
・外部集団に対する攻撃傾向
・内省や反省や独創性への抵抗
・迷信やステレオタイプ化への傾倒
・力と「逞しさ」への心酔
・破壊衝動とシニシズム心理的投射(「世界では野性的で、危険なことが進行していると信じる傾向」、そして「無意識の情緒的衝動を外部へ投射すること)
・性に関する誇大な関心

 ということで、アドルノらの結論によれば、反民主主義的な個人は「心の底に強力な攻撃衝動を抱いて」おり、ファシスト運動は、公認の暴力によって、この破壊衝動をイデオロギー的に標的とされた外部集団に投射することを彼に許すことになるという。
 これは、これこそまさに、今の日本にある「嫌韓」意識を説明するものではあろうか、とは思う。