ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシ:監督

       f:id:crosstalk:20191119125842j:plain:w400

 この作品は、前に観たアルフォンス・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』と同じように、本来Netflixによってストリーミング配信される映画で(わたしが観た時点でまだストリーミング配信は始まっていない)、わたしが観た映画館や渋谷のアップリンクなど、ごくわずかな映画館でのみスクリーンに上映されるのだ。
 わたしはNetflixなどとは金輪際契約などしたくない気もちなので、こうやってスクリーン上映してくれる映画館がウチの近くにあることはほんっとうにありがたい。

 さてこの『アイリッシュマン』、例によってどんな映画なのかほとんど知らずに観に来たわけだけれども、出演がロバート・デ・ニーロジョー・ペシ、そしてアル・パチーノということで、マーティン・スコセッシのずっと追及する「マフィアの歴史図録映画」の系統だろうと想像した。タイトルの『アイリッシュマン』は、過去の『ギャング・オブ・ニューヨーク』の系譜のアイリッシュ・マフィアの話なのかと想像(「アイリッシュ・マフィアvs.イタリアン・マフィア」の抗争というと、コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』を思い出してしまうが)。脚本も、『ギャング・オブ・ニューヨーク』の脚本のスティーヴン・ザイリアンだし。そうすると、どうせ音楽はロビー・ロバートソンなのだろうから、どんなアイリッシュ・チューンが流されるかも楽しみだろう。そう思いながら開映を待った。

 カメラが、カフェだかの群衆がたむろする屋内をずんずん進んでいき、椅子に座っている年老いたロバート・デ・ニーロのところでぐるりと回り込んでデ・ニーロの顔をアップする。デ・ニーロはフランク・シーランという男を演じているのだが、そのシーランの回想話になる。カメラはいつもでーんと真正面からで、気もちがいい(撮影監督はロドリコ・プリエトという人)。シーランは、「オレは<壁を塗装する人>と言われてた」と語り始める。「I heard you paint houses」という文字列が大きく画面に出てきて、まるでこの映画のタイトルのようだが、コレはあとで調べるとこの映画の原作になったノンフィクションの原題らしい。<壁を塗装する>というのはつまり壁に赤い血を飛び散らせるということで、「殺し屋」の別名というところなのか。

 トラックの運転手としてチンケな荷物(牛肉)のごまかしをやっていたシーランは、ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)というイタリアン・マフィアと知り合い、けっきょくその縁でジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の手伝いをすることになる。

 わたしは、「ジミー・ホッファ」という人物が登場するまでは、この映画はきっとフィクションだろうと思っていたのだが、わたしも多少は「ジミー・ホッファ」という実在の人物のことは知っていたので、そこで「おっと、この映画は<実録モノ>だったのか!」と観方を改めた(あとで調べたら、フランク・シーランもラッセル・ブファリーノも、みな実在の人物なわけだし、そもそもこの作品の原作はそのフランク・シーランの晩年の告白をもとにしたものなのだった)。

 フランク・シーランは、そういう意味では「大物」ではない。ブファリーノとの「友情」を大切に行動するか、ジミー・ホッファとの関係を優先するか、「使いっぱしり」というわけではないが、「便利屋」ではあろう。映画は基本すべて彼の一人称視点で描かれるけれども、自分よりも上のところで何が画策されていたか、例えば「ケネディ大統領暗殺の真相は」などということは知らない(ただ彼のシニカルな視点がこの映画の大きな特色にはなっている)。むしろ彼は自分の娘のペギーが自分の暴力的な側面を知ってしまって、以後自分を避けることを悲しむのだ。そう、このペギーを、成長してからはアンナ・パキン(『ピアノ・レッスン』での子役として有名か)が演じているのだけれども、幼い頃をLucy Gallinaという子が演じていて、どのシーンでも、この子の「目線」が素晴らしいのだった。この子役さんの名まえは憶えておこうと思った。

 観終わって、やはりスコセッシらしい「マフィア映画」のひとつではあったとは思う。スコセッシの「マフィア映画」の傑作はもちろん『グッドフェローズ』なのだが、『グッドフェローズ』にも主演していたデ・ニーロとジョー・ペシの<老境>の姿をみせ、ひとりの男が人生を終えようとするときの<悲哀>を描いたということで、この『アイリッシュマン』もすばらしいものだったと思う。わたしはこの作品でジョー・ペシにもういちどアカデミー賞をあげていいと思ったね。

 さて、音楽だけれども、主人公のフランク・シーランはいちおうアイリッシュ系らしいのだけれども、その出自にまでたどる描写もなく、そういう音楽も使われなかった。
 映画は1950年代から90年代までの長いスパンを描いた作品だったけれども、映像的に描かれる時代と音楽とをシンクロさせるのは60年代前半までで、つまり、「ロックは、なし!」。これはおそらく『グッドフェローズ』の二番煎じと言われることを避けたかったのだろう。気もちはわかる。
 そんな中で、ほとんどこの映画のメイン・テーマ的な扱いを受けたのは、The Five Satinsの"In the Still of the Night"だった。まあこの曲は別に聴いていただくとして、わたしが泣けたのは結婚式のシーンで聴かれた、映画『裸足の伯爵夫人』での「裸足のボレロ」。これはわたしの父がレコードを持っていて、ある意味でわたしのいちばん古い記憶の楽曲、なのかもしれない。