ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯』@横浜・県立神奈川近代文学館

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 「中島敦とは誰だったのか?」というのが、今のわたしの頭に渦巻く想念ではある。そのわたしなりの「答え」は中島敦の作品を読むことから解き明かさなくてはならないだろうが、その大きな「補助資料」として、この展覧会があった。ちょうどわたしの中で「中島敦熱」とでもいうようなものが高まってきたときでのこの展覧会、グッドタイミングだった。

 漢学に秀でた父親のもとで素養をつけ、学校での成績はすべての科目で「甲」。東京帝国大学文学部国文学科に入学するが、家庭では父の再婚、再々婚のたびにそれぞれの継母の愛情を得られず、屈折した時代を送ったようだけれども、やはりどこか信念の強い人物だったようで、学んだ英語で原書をいろいろと読み漁る。妻となるタカへの求婚も、「信念あればこそ」というような強い意志が感じられた。妻のタカはその求婚を、「この人は不良だと思った」と語っているようだ。
 結婚して女学校の教師となり、のちに南洋のパラオ諸島に職を得て赴任。帰国後にしばらく家族との安泰な生活をおくるものの、1942年12月、わずか33歳で早逝する。著作も刊行されて作家としてスタートを切れるか、という矢先での早去だった。

 戦争が激しくなる前の人だったとはいえ、その資料は数多く残されていて、その多くはこの「神奈川近代文学館」に遺されているらしい。文章は彼の刊行された著作で読めるとはいえ、残された写真、教師時代の記録、多数の原稿類、南洋から家族へ宛てた絵ハガキなど、活字だけでは追えない記録が多く展示されていた。読むのが大変だ。

 ひとつ驚いたのは、中島敦が実に絵が上手かったことで、展示されたパネルの片隅にコピーされたネコや牛の絵、ちょっとした風景画や花の絵など、「この人は画家になっていても一流の人になれたのではないか」と思わせられた。
 そんな彼の絵は、図録の中に掲載されているのではないかと思ったのだが、わたしの気に入ったネコや牛の絵は収録されていなくて残念。わたしの考えでは中島敦の描いた「絵」だけを集めて「画集」を出してもいいのではないのか、などとは思った。刊行されればわたしは必ず買う。
 文学館のショップに彼の花の絵の絵ハガキが一種類だけ売られていたので、もちろん買って帰った。

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