どうもこの邦題はよくわからない。もっと即物的なタイトルでよかった気がするけれども、まあそれでは客が入らないのか。ちなみに英語タイトルは「Ash is Purest White」で、これまたよくわからないけれども、映画の中でチャオ・タオがこれに近いことを語っていたシーンはあった。これは中国の「炭鉱産業」への言及があるのだろうが。それで原題はどうよ?とみると、「江湖儿女」というもので、「江湖」というのは「川や湖」、「儿女」は「子どもたち」というGoogle翻訳。これも違和感はあるのだけれども、「そうか、そういうタイトルにしたのか」というところはある。それはどこかで、ジャ・ジャンク-監督の『長江哀歌』や前作『山河ノスタルジア』につながっているのだろうか。
ジャ・ジャンク-監督は『プラットホーム』から、中国での体制にかかわらない人々を描きつづけているけれども、この作品ではなんと、「極道」の世界に生きる男女が主人公である。それもまた、「体制」からはみ出した人々を描いたということで、日本の仁侠映画にも通じるものがあるだろうか。
主演はジャ・ジャンク-の作品のミューズ的存在であるチャオ・タオと、『薄氷の殺人』という印象的な映画でファム・ファタールな女性容疑者に惚れてしまう刑事を演じて記憶に残るリャオ・ファンという男優。この二人の俳優の存在感を堪能するだけでも、この映画を観る価値はあるだろう。
映画は2001年から始まるのだけれども、そこでの賭博場でのチンケな舞台が、どこか『プラットホーム』での冒頭の舞台シーンを想起させられる。
ここですでに雀荘のオーナー的なリャオ・ファンと、雀荘を取り仕切るチャオ・タオとは「いい仲」なわけだけれども、この導入部では「拳銃」というものがあっちからこっちへと移動し、ひとつのキーになる。繁華街の夜に流れる「YMCA」とか「Cha Cha Cha」とか、日本人にも懐かしい音。エグいショー・ダンスの演出が面白い。
夜中の路上での抗争からチャオ・タオがその拳銃を使うことになり、つまりチャオ・タオは収監される。どうやらリャオ・ファンも同時に収監されているらしい。5年の月日が経ちチャオ・タオは釈放されるが、迎えに来てくれると思っていたリャオ・ファンの姿はない。ここからチャオ・タオがリャオ・ファンを追い探す長い旅が始まる。
わたしは中国の地名を聞いてもそれがどのあたりに位置するのかなどまるでわからないが、これがとんでもなく長い長い旅程の旅だということは想像がつく。この、チャオ・タオの「旅」こそがひとつのこの映画のメインで、ある意味でこの女性の「したたかさ」をしっかりと見せてくれ、導入部で彼女の手にあった「拳銃」は、いつしか「ペットボトル」に変わっている。
わたしはちょびっと「うとうと」していたものでよく憶えていないのだけれども、中国のどこかの広大な風景の中でチャオ・タオとリャオ・ファンは再会する。リャオ・ファンは車椅子に頼る生活をしている。
ラストは2018年で、まったく冒頭のシーンと同じようにチャオ・タオが雀荘を仕切り、リャオ・ファンがいる。
今までのジャ・ジャンク-の撮影を担当していたユー・リクウァイはこの作ではアドヴァイザーで、現場の撮影は『ポーラX』などのエリック・ゴーティエ。手持ちカメラでの長回しが印象的だ。
わたしはこれはけっこう「ゆるい」映画だな、とは思ったのだけれども、映画が終わって映画館の外に出て、「やはり傑作だったのではないか」と、もういちど観たくなったのだった。UFO。