ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『あいちトリエンナーレ2019 情の時代』@豊田市周辺/名古屋市美術館/愛知芸術文化センターなど

     f:id:crosstalk:20191011173034j:plain:w500

 (写真は「愛知芸術文化センター」展示のウーゴ・ロンディノーネの「孤独のボキャブラリー」)

 わたしは10時半ぐらいから、まずは豊田市周辺~豊田市美術館の作品から観始めたのだが、けっこう展示場所を徒歩で巡回するのに時間が取られたし、いちばん観たいと思っていたホー・ツーニェンの「旅館アポリア」はすべて鑑賞するのに1時間半ぐらいかかり、ここで大幅に予定よりも時間がかかってしまい、名古屋市に戻ってからの鑑賞が駆け足気味になってしまったし、デジカメのデータをミスってすべて消してしまったことにも、集中心をそがれることになってしまったかとは思う。
 そんな中でやはりさいしょに回った豊田市の作品が印象に残っていて、先にあげた豊田市の由緒ある料亭旅館「喜楽亭」全体を使ったホー・ツーニェンの「旅館アポリア」、廃校になった高校の水を抜かれたプールでの高嶺格の「反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで」、そして豊田市駅構内で展示された小田原のどかの作品が心に残った。また豊田市美術館の展示でも、タリン・サイモンの写真作品、そして美しいスタジオ・ドリフトの「shylight」など。

 書いているとあまりに長くなるので、先日別のところに描いた「まとめ」の簡単な文章を転載することにする。

 『あいちトリエンナーレ』を観てきた。台風のために一泊がかなわず、東京から日帰り駆け足の鑑賞、アクシデントもあって見落とした作品も多い。
しかしまずは、刺激的なすばらしい「国際美術展」ではあったと思う。トリエンナーレ全体を観ず、一部の展示(「表現の不自由・その後」)をのみ問題にして攻撃する「分断」は悲しい。
現代アートには「社会学」的視点を基礎にヴィジュアル化する作品が多いが、「あいちトリエンナーレ」にもそのような作品が多く観られた。
とりわけ、近代~現代アジア史(日本史)を問う作品が印象に残り、そのコンセプトの中で「表現の不自由展」も観られるべきだったのに残念だと思う。例えば評判の高かった喜楽亭のホー・ツーニェンの作品、そして名古屋市美術館の藤井光の作品などを絡めて、「表現の不自由展」を批判するような、つまり、「あいちトリエンナーレ」全体を観たうえで批判するような視点がないことが悲しい。やはり批判する人らは「アート」に興味がない、そもそもが体制批判色の強い「アート」なるものを、手ぐすねを引いてつぶしてやろうとしているだけなのか。
過去の「保守」/「右翼」論壇ならば、「あいちトリエンナーレ」全体をしっかり鑑賞した上で、「ココは賛同できない」とか語ったことであろう。アートを観ようとしない人たちがアートを批判しようとする潮流は悲しい。