ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『白衣の女』ウィルキー・コリンズ:作 中島賢二:訳

 1859年から雑誌に連載され、1860年に出版され大ベストセラーとなったという「推理小説の元祖」とも呼ばれる長編推理ミステリー。作者のウィルキー・コリンズは若い頃にはラファエル前派の画家らとの親交もあり、後にチャールズ・ディケンズと知り合うと大親友になってしまったということ。この『白衣の女』を連載した雑誌も、ディケンズの発行する雑誌だったという。
 とにかくこの『白衣の女』は売れに売れて、社会現象にまでなったというのだが、これは今の時代に読んでもたしかに面白い。背景のヴィクトリア朝時代イギリスの世相も適度に雰囲気を出しているのだが、とにかくそこまで多くもない登場人物のからめ方がいい感じだし、適度に大風呂敷を拡げそうなそうでもないような、という寸止めの展開も気持ちいい。まあどこまでも理詰めの展開は情緒に欠けるといえばそうでもあり、いわゆる「純文学」という風格ではないかもしれないが、とにかくは面白いのだ。つまり、「芥川賞」は取れないだろうが、「直木賞」は絶対取れる、みたいな(わたしはこの作家の『月長石』を高校生ぐらいの頃に読んでいるはずだけれども、当然ながら今では何も記憶していない)。

 この小説はいろいろな人物の手記、日記、手紙、そして供述から成り立っているのだけれども(その語り手それぞれの個性に合わせた文体の変化が楽しい!)、物語を展開させる主な登場人物は5人。冒頭とラストの手記を書くウォルター・ハートライトという絵画教師、そしてウォルターが愛してしまうローラ・フェアリー嬢(美人!)。彼女は屋敷の財産の相続人でもあるのだが、そんなローラの従姉でローラの精神的支え、ウォルターにも頼りにされるのがマリアン・ハルカム嬢(「美人とはいえない」ということだ)。小説の中盤は彼女の日記で成り立っている。そしてローラの婚約者である(小説半ばで結婚してしまうが)パーシヴァル卿、そしてローラの叔母の夫であるところのイタリア人、フォスコ伯爵。ここまでで5人だがまあもう一人、精神病院から逃げ出して途中でウォルターと出会い、謎の伝言を残していく「白衣の女」であるところのアン・キャセリックという女性(彼女はローラ嬢に瓜二つなのでもあるが)も登場するが、彼女の出番はきわめて少ない。
 要するにパーシヴァル卿というのはローラの財産目当ての悪党なわけで、内容を知らせずにローラに書類への署名をさせようとしたりするし、いろいろと隠しごともあるようだ。そこにフォスコ伯爵というのが彼の周辺でうろちょろしているのだが、パーシヴァル卿の腹心のようでもあるがローラが署名するのをやめさせたり、病気で倒れたマリアンの治療に献身したりするし、どうも正体不明である。
 ウォルターはと言えば、早い段階でローラへの恋心をマリアンに見抜かれ「ローラには婚約者がいるからあなたは身を引きなさい」と言われて、中米への探検隊に加わって冒険の旅。九死に一生を経て帰国してみたらマリアンから「あなた、大変よ」みたいな連絡をもらうのである。ローラはローラで実はウォルターが好きになっていて、マリアンはウォルターを追い出した(?)あとにそのことを知るわけで、そのときはマリアンだけがウォルターとローラは相思相愛だということを知っているわけなんだけれども、読んでいると「おまえ、何とかしてやれよ~」とは思うのだけれども「ま、しょうがないわね」みたいな感じで冷淡。まあ先に婚約者はいるし、ウォルターの身分も低いからしょうがないとはいえ、もうちょっと早いうちに、マリアンの中に「何とかしてやりたい」という葛藤を読み取りたかったかな(ローラがパーシヴァル卿と結婚したあとになって「ああ、ウォルター!ローラといっしょになるべきはやっぱりあんたよ!」となるのだが、それはちょっと遅い!)。
 まあだいたい、ローラ嬢と「白衣の女」であるアン・キャセリックがクリソツだというあたりにも「謎」がありそうだけれども、そのあたりの解明はありきたり(ただストーリーの展開上、二人はクリソツでなければならなかったのだ)。
 しかしやはり、少しずつ「謎」が解明されて行く中盤の展開は読み手を引きずる面白さがあるし、下巻での急展開にはびっくりして、「ど、ど、ど、どうなるんだ!」と先を急いで読みたくなってしまう。

 読み終えたところで、「こういうのって、ひと昔前のテレビのミステリーっぽい昼ドラにぴったりの内容ではないか」と思ったら、Wikipediaをみるとじっさいに8年前に昼ドラでやられていたらしい。
 これだけの長編を2時間ぐらいの映画の枠に収めるというのは至難の業だろうということは想像がつき、サイレント映画の時代に何度か映画化されたあとは、1948年にギグ・ヤングとかの主演で映画化されたあとは絶えて映画化されてはいない(1982年にロシアで映画化されているようだが)。ただ、BBCが2回ほどテレビのミニシリーズとして映像化しているし、これはまるで知らなかったのだが、あのアンドルー・ロイド・ウェバーによってミュージカル化(!)され、これは日本でも上演されていたのだった。しかし、いったいどうやったらこの話がミュージカルに変換され得るのだろう? 面妖である。