ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『みんなのレオ・レオーニ展』@新宿・東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

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 先に書いたように、わたしはこの展覧会で、彼の「平行植物」関連の作品がまず観られればいい、ぐらいの気もちでいて、もちろん立体作品も含めてのそんな「平行植物」関連の作品を堪能したのだけれども、思いがけずにレオ・レオーニのシンプルな絵本に夢中になってしまっていた(これは、まず展示を観る前に、入り口で上映していた彼の絵本のアニメーションを全部観ておいたことがすっごいプラスになった)。

 どうも、今の日本に生きていて、いろんな報道とかを耳にして目にしたりしていると、どうしても心がぎすぎすとしてしまい、「これではちょっとしたことでも心の中で血が流れ出しそうだ」とも思ってしまう、そんな心が、レオ・レオーニの絵本を観ているとまさに「癒される」というか、「やさしさ」とはこういうことを言うのだよ、という気分になる。

 1910年生まれのレオ・レオーニは父がダイヤモンド研磨師、母がオペラ歌手という裕福な家庭に生まれ(生誕地はオランダ)、幼少期をコスモポリタン的に世界各地で過ごすのだけれども、15歳からはイタリアで生活し、彼はイタリアで勃興した「未来派」の洗礼を受けて美術家としての活動を始める。しかしイタリアでのファシズムの勃興で、ユダヤ人だったレオーニ一家はアメリカに亡命、戦後はアメリカでグラフィック・デザイナー、アート・ディレクターとして名を馳せることになるのね。
 それで1958年、ブリュッセルでの万国博覧会で彼はアメリカのパヴィリオンのアート・ディレクターになり、そこでアメリカの直面する問題として「人種差別」を取り上げ、人種差別を越えた将来の世界を提示しようとしたのだが、なんと、ここでアメリカ政府からの横やりがはいり、なんと、パヴィリオンは閉鎖されてしまう。これはどうしたって、今日本で起きている「嫌韓」、その象徴的な出来事としての「あいちトリエンナーレ」での「表現の不自由展・その後」の展示中止問題と相似形である。
 この「ブリュッセル万博」の顛末は詳細わからないけれども、アメリカはまさにマッカーシズムの時代で、レオ・レオーニの勤務先にも、そのマッカーシー上院議員から「アイツはアカだ」との手紙が届きもしたらしい。
 そしてそんな出来事の翌年1959年、彼が49歳の年に、彼は自身初の絵本「あおくんときいろちゃん」を出版する。この絵本は具象的な絵はまるで描かれず、ただ「青」と「黄色」の色彩、その混ざり合った「緑」とで描かれた絵本で、誰がどう見ても人種による肌の色のアナロジーで描かれた絵本だろう。これはレオ・レオーニ自身がはっきり言っているわけではないらしいが、もちろん「ブリュッセル万博」での忌まわしい出来事の記憶から生まれたものだろう(レオの娘さんのアニー・レオーニもそのように語っているらしい)。

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 思ったのは、そんな「不寛容」と「憎しみ」の横行する時代、そんなネガティヴな感覚、感情を人は生まれながらに持っているはずもなく、「社会」の中で生きることで、なぜか「不寛容」や「憎しみ」を学んでしまうのではないのか。わたしは「<童心>に帰って」という言葉は決して好きではないけれども、レオ・レオーニは、児童の精神に立脚して以後の彼の「絵本」を描き続けたのだろうと思う。
 とにかくわたしは、このレオ・レオーニの作品の展示を観て、気もちのいい適温の温泉にひとりで浸かっているような気分になったというか(わたしは<温泉>は好きではないのだけれども)、彼の絵本を全部買って、ゆっくりと自分の部屋でニェネントくんといっしょになって眺めていたいものだ、などと思ったのでした。またこの展覧会にはゆっくりと行きたいと思っています。