ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『城』フランツ・カフカ:著 辻瑆・中野孝次・荻原芳昭:訳(旧版「カフカ全集 1」より)

(古書なのでAmazonに同じ本がなく、Amazonとのリンクはしませんでしたが、多数の翻訳書が出ています)

 これは1953年に新潮社から刊行された、日本最初の「カフカ全集」の1巻め。この「カフカ全集」刊行への経緯は、ずっと昔に読んだ高田里惠子の『文学部をめぐる病』という本*1に書かれていたが、いろいろな幸運が重なって、トントン拍子に「じゃあ、全集出すぜ~」みたいなことになったらしい。それだけにその翻訳作業はちょっと泥縄式ではあったらしいのだが。

 それでこの『城』、つまり城での仕事を得た測量師のKが城の領地に到着するが、どうしても「城」に到達することが出来ず、二段組み400ページを費やしながら「未完」で終わってしまうという小説。「あとがき」でマックス・ブロートも書いているが、もしもこの小説が完成していてもKは城に到達することはなく、疲労困憊のうちに死んでしまうことだろう。
 この長編、前に読んだカフカの短編『掟の門』に似ている。あるゲート(門)を越えたいと思う男が、いつまでもそのゲートを越えられないでその生を終える。生を終えるとき、門番からゲートの仕組みを教えられるというものだったと思うのだが(そのうちにまた読むことになるだろう)、この『城』でも、測量師Kは「城」に到達したいと努力するのだが、その努力はむなしい。
 これはフィジカルな「迷路」の話ではなく、もっと内面的な「迷路」である。Kは「城」にたどり着くためにはまずは城の周辺に居所を定めなくてはならないと判断するのだが、そのKの前にあらわれる城周辺の住民は、ことごとくKの歩みの障害となる、とKは考える。ここで、読んでいて「このKという男はなんだか変だ」と思う。もちろん同時に、城周辺の住民たちも皆、「なんだか変だ」ということでもある。つまり、この小説の登場人物はみなすべて、どこか歪んでいるという印象がある。そう、この小説はほぼすべて、主人公のKと城周辺のさまざまな住民との「対話」から成り立っている。

 「なんだか変だ」というのは、彼ら、彼女らの思考経路の異様さというのか、これはまるでボルヘスの作品での「一本道で迷子になる」という話を思い出させられる。その中でもやはりいちばん奇妙なのはKの思考回路というか、特にさいしょのうちは、出会った城周辺の住民に対して、「いかに自分の優位性を保つか」ということに腐心しているように思え、読んでいても「問題はそんなことではないのではないか」と思えてしまう。読んでいて、わたしの印象ではKという男はほとんど「詐欺師」という姿になり、前にちょっと書いたけれども、それはスタンリー・キューブリック監督の(というか、サッカレー原作の)『バリー・リンドン』の主人公に相似形というか、わたしは読みつづけながら、そのKの容姿には『バリー・リンドン』のライアン・オニールの姿をあてはめて読みつづけたのだった。けっこう女性たちとの危うい関係を繰り返していくKの姿は、まさにライアン・オニールにはぴったりではあったのだが。

 そんなKの思考回路の危うさは、いちどはKと婚約する居酒屋のフリーダが面白いことを語っている。「あなたは何でも反駁することがおできになります。でも、結局のところ何一つとして反駁されてはいないのですわ。」と(第十八章、わたしの読んだ本では294ページ)。ここに、この小説の「本質」があるようにも思う。
 中断されたこの小説のさいごでは、やはり重要な登場人物の居酒屋の女主人と、無意味とも思える服装の話を始める。ここでの対話でも、興味深い箇所がある。ちょっと引用してみよう。

「いったいあなたの職業は何なんですの?」
「測量師です」
「いったいそれは何なんです?」
 Kは説明したが、そんな説明を聞いても相手は欠伸をしただけだった。
「あなたは本當のことを言わないのね。いったいなぜ本當のことを言わないんですの?」
「あなただって本當のことを言わないじゃありませんか」

 ‥‥このあとのやりとりも興味深いのだけれども、わたしも、カフカに倣ってこのあたりで中断いたしましょうか。
 

*1:今では文庫化されているようだ。