ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ひろしま』(1953) 関川秀雄:監督 伊福部昭:音楽

 長らく「幻の映画」として公開される機会も少なかった作品だけれども、こうやってテレビで放映されるまでになった。そもそもが新藤兼人の撮った『原爆の子』に日教組が協力するはずだったのが、『原爆の子』の脚本のドラマ的展開に日教組側が「原爆の真実の姿が伝わらない」と反発し、日教組側が独自に映画を撮ることになったという作品。おそらくは日教組が製作した映画作品はこれ一本だけだと思うが、それだけに日本の映画五社の<自主規制>から逃れた作品となった。この映画五社はけっきょく配給を拒否し、以後は自主上映のかたちとなったようであり、そのことが「幻の映画」となる原因でもあったようだ。

 当時の日教組日本教職員組合)への革新的市民の支持は強く、この映画撮影にあたってもスタッフと広島市民との友好的な交流がつづき、じっさいに原爆投下を体験した、被爆者を含む多くの広島市民が協力し、エキストラとして出演している。
 監督の関川英雄という人はすでに戦争孤児を描いた『第二の人生』という映画を撮り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、記録映画『鉄路に生きる』などの作品があり、社会派としての視点は明確なものがあったようだ。

 映画は原爆投下~終戦から7年後の広島の学校風景、授業を受けていた女生徒が被曝による原爆症で倒れることから始まる。このときの教師を演じているのが岡田英次である。
 時がフィードバックして「原爆」の日になるが、原爆投下の映像はほんとうに瞬間的なもので、すぐに瓦礫の山となった広島市街となり、ぼろぼろになった服をまとい、両手を前に出してふらふらと右往左往する人々の姿になる。家族を探す加藤嘉の絶叫はあるが、いわゆる「阿鼻叫喚」の地獄絵図というものでもなく、このあたりじっさいに原爆を体験した広島市民の実感のこもった描写なのではないかと思う。山田五十鈴月丘夢路らのビッグネームも出演しているが(月丘夢路は自身が広島出身なので、ノーギャラで出演したという)、はらはらと死んでいくばかり。女学生らと川の中をさまよい、「君が代」の流れる中を川に沈んでいく月丘夢路は、こういっては何だが美しかった。
 時代は「戦後」になり、ここでひとつ描かれるのは「原爆孤児」らのストーリーで、ここに生き残った加藤嘉の子の遠藤幸夫という人物も登場して、彼に映画はクロースアップしていく。「アプレゲール」というのか、ちょっと不良化していくような彼を救おうとするのが教師の岡田英次。幸夫はそんな原爆孤児らといっしょに離島の防空壕に行って、そこでそのまま死んだ死者の頭蓋骨を持ち帰り、その額に文字を書いた紙を貼って米兵に売ろうとして補導される(その前に原爆孤児らが米兵に原爆で変形した屋根瓦を売ろうとする挿話があるが)。そこに書かれていたのが、今はちょっと忘れたが「原爆、偉大なり!新しい神だ!」みたいなアイロニカルな文句で、わたしはここで「この映画、すごいな!」と思ってしまった。
 ラストは、そんな教師の岡田英次が生徒ら(被爆者でもある)と共に、ずん、ずんとカメラに向かって行進してくるシーンで終わる。強力だ。すごい映画ではないかと思った。

 皆が原爆投下後のひろしまの惨状の描写でこの映画を賛美するが、そうではなく、このラストの力強さにこそ、この映画の価値があるのだ。「いい映画だ」というのを超えて、これはすばらしい「未来へのメッセージ」の込められた映画だと思う。この映画を今日放映したNHK(Eテレ)は、いい仕事をしたと思う。最近の政権べったりのNHKの報道には絶望的な気分になるが、報道以外のほかの部署はすっごくがんばっているように思う。エールをおくりたい。
 あ、あと、伊福部昭の音楽もすばらしかった!