ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』蓮實重彦:著

 映画に対して身勝手な一家言を持ち、居酒屋とかで映画論争を始めてしまうような、(わたしがお付き合いしたいとは思わない)御仁たちに、蓮實重彦氏はすこぶる評判が悪い。ひとつには「文芸評論家」としてのキャリアから、主にフランス思想(フーコードゥルーズデリダとか)にも詳しい蓮實氏の論説に(映画ファンである)読者がついていけないということでもあり、また、今観ようと思っても観ることの困難な作品への言及が多いこと(このあたり、金井美恵子氏にも同じことが言える?)、などが言えるかと思うのだけれども、この『ハリウッド映画史講義』を読むと、蓮實氏が単に個々の映画作品を観て「いや~、映画って楽しいですね~!」などと言っているわけでなく、その背後の<歴史>にいかに意識的か、ということがよくわかる。わたしにはあまりに刺激的な本だった。
 Amazonのこの本のレビューにも、「わざとマイナーな人物や蓮實が好きな人物を取り上げたりしている」などとの評もあるのだけれども、もうジョセフ・ロージーエリア・カザン、そしてニコラス・レイらの名を「マイナー」だと思ってしまうような人は、そもそもこの本は読むべきではないだろう。

 例えば文学作品(小説)を読んでも、それが「古典的」作品であったときに、そんな「文学史」に興味を持つ読者と、単に個別に個々の作品を面白がればいい、という読者とがいることだろう。
 そういうところで個人的なことを述べれば、わたしが高校生ぐらいのときに興味を持った「シュルレアリスム」という運動、まさにヨーロッパの文学史の流れの中から生まれた<運動>であり、そのあたりに興味を持つことは<文学史>というものに興味を持つ、ということでもあった。今でも、そういうスタート地点から文学や美術を俯瞰しようとする視点を持てたということで、そのしょっぱなが「シュルレアリスム」であったことに感謝している。
 そのことは音楽(ロック)でも同様で、「いったいなぜ<パンク>が産まれたのか?」ということを理解するには、そんなロックの<歴史>に意識的でなければならなかっただろう。
 この本で、蓮實重彦氏は「ハリウッド映画」という切り口から、特に50年代の映画作品、映画作家を分析することで、単に今まで表面的に語られていた「非米活動委員会」での抑圧を越えた、「ハリウッド映画」というものの<本質>に迫る論考を展開されていると思う。それは「アメリカ」なるものに対抗する「ハリウッド」であり、「B級映画」とは何だったか、という考察である。この考察の中からいわゆる「アメリカン・ニューシネマ」時代の作品が切り捨てられ、ロバート・アルドリッチ、そしてクリント・イーストウッドらの立ち位置が明確にされていく過程は「スリリング」といってもいいだろう。

 そして何よりも魅力的なのは、このそんなに分厚くもない書物の中で、蓮實氏の「映画とは何か」という問いかけが常に有効であることで、「次に映画を観るときには、この蓮實氏の視点を意識して観てみよう」と思わされるということである。映画関係の書物で、ここまでに魅力的な書物というものに、今までに出会ったことはなかった。