ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『むらさきのスカートの女』今村夏子:著

むらさきのスカートの女

むらさきのスカートの女

 ‥‥「なにこれ、この笑っちゃう展開は?」とか、主人公らのある職種の中での作業内容も小説展開の大きな要素になってるとか、普通の人生観から外れた人たちの行動であるとか、ちょっと村田沙耶香の『コンビニ人間』を思い浮かべたりもするのだけれども、いやいやその先をず~んと突き抜けて、とんでもない世界に突入してしまった感がある。すばらしい(それはもちろん、『コンビニ人間』は『コンビニ人間』で独自の突き抜けた面白さがあるのだけれども)。

 前半はどこかオフビートな展開で、「この微妙なおかしさがたまらないな~」とか思っていたら、アレですよ。この姿を見せない主人公が「むらさきのスカートの女」と所長とのデートを延々とストーキングする<長回し場面>の展開で一気に爆発! どんなユーモア小説もかなわない大爆笑コメディに突入してしまうのだった。そしてついにはつまり、この作品は語り手の主人公のアイデンティティー(実存)を問いながら、「この小説世界とは何か?」という問いをいやおうもなく読者に問い詰めるところまで行ってしまう。
 やはり、この語り手であるところの「黄色いカーディガンの女」の正体がわかるようでわからない(いや最後にはわかるといえば」わかるのですけれどもね)、そして「そんなところまでストーキングできるわけないじゃないか」というとんでもなさがいわゆる「リアリズム」を超越することはなはだしくも痛快。そう、「むらさき」という色の<補色>とは、つまり「黄色」なわけだし。

 昔何かの(記憶もあいまいな)映画で、ある男のことを一方的に恋してストーキングする女性が、その男が別の女性とデートするのを探偵(スパイ)のように追跡、つきまとい、その行動をいちいち小さなノートにメモして行くというストーリーがあって、でもそのストーカー女性はその映画の主人公でもなんでもなくて、そのストーカー行為の途中でいとも簡単に交通事故で死んでしまう、というような話だったと思うのだが、もちろんその映画が何だったのか思い出せないし、そもそもそんな映画がほんとうにあったのかどうかも今ではしかと思い出せなくなってしまったのだ。
 ま、そういうことはどうでもいいのだけれども、わたしはこの小説、翻訳されて海外に紹介されたら、日本でよりもよっぽど大きな評価を得るような気がしてならない。