ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-07-18(Thu)

 仕事を終えて帰るときにケータイでニュースをみると、あの「京都アニメーション」の会社ビルに男が乱入して放火し、ビル全体が炎上。少なくとも10人が死亡し、まだ行方不明者がビルの中に多数残されているという報道だった。衝撃的なニュース。
 帰宅してテレビをみると、犯人の男は「パクられた」などと叫んでいたという。まだ事件の全貌もわからないうちに軽率なことを書いてはいけないが、これはほぼ100パーセント犯人の「妄想」だろうと思う。そして、このような「妄想」を抱いている「ゆがんだ人」というのは、それなりに存在する。わたしも表現者表現者を目指す人との交流はそれなりにあるし、その中で(くわしくは書かないが)自分の作品が大作家AとBにパクられた、とマジ顔で語る人に会ったこともある。そもそもその作家AとBの作風に共通するものはなく、そのAとBが無名の作家の作品から同時に剽窃するということは、常識的にも非常識的にもありえないこと。わたしはその人物との交流をつづけることはやめることにして、その後その人物のすがたを見かけたときにも遠回りして彼と出くわさないようにしたりした。別の例でも思い出してみると、他の人からも、「自分の作品が大作家にパクられた」と言っている人物がいるという話を聴いたことがある。
 大作家であろうが誰であろうが「剽窃」は犯罪であり、自分が「剽窃された=パクられた」と考える確とした証拠があるのなら、ちゃんと訴えればいいのであって、その当人に伝わらないようなかたちで陰で「パクられた」と言いつづけるのは「妄想」といわれて仕方がないだろうし、わたしはそのような事象は「妄想」だと考えている。
 危険なのは、その「妄想」というものは自己の内面でどんどん増殖してしまうことで、特に他者との交流を持たない「ひきこもり」気味の人物では、「妄想」と「現実」との区別がどんどんあいまいになってしまうのではないか。まだわからない事件だが、そういうところがあるのではないかとわたしは思った。ただこの事件でお亡くなりになられた方々、ケガをされた方々へのお見舞いの気持ちを抱く。

 今日は仕事の帰りに勤め先の近くの古本量販店に立ち寄り、今村夏子の本を3冊買った。おかしなことに『あひる』と『父と私の桜尾通り商店街』の単行本2冊は、昨日まで貼られていなかったはずの「表示価格よりレジで半額」のシールが貼られていたことで、おかげですっごい得してしまった。やはりこの古本量販店、「これからこの作家の本は売れるだろう」とかそういった計算はまるでやらないわけだな。
 昨日買った『むらさきのスカートの女』はちゃっちゃっと読み終えた。やはりこれはひとつの「傑作」だと思った。

 夜は日暮里で山田せつ子さんのダンス公演があり、チケットも買ってあったのだけれど、なんだか風邪が完治していないというか、外は気温も高くそれ以上に湿度が異様に高く、時間が遅くなると雨になるともいうし、出かけるのがおっくうになる。明日は明日でKさんと飲む約束をしていることだし、今夜出かけるとどうせ知人と会って飲むことになるだろう。それは楽しいかもしれないが、二日つづけて飲むというのも危険かもしれない(そのあと、日曜日にもダンス公演が控えている)。けっきょく出かけるのをやめて、早くに寝てしまうのだった。