- 作者: 小出由紀子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2013/12/18
- メディア: 単行本
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ヘンリー・ダーガーの名まえがにわかに注目を集め、東京でも展覧会が開かれたのが2011年のことだったようだ。もちろんわたしもそのときにその展覧会を観に行ったのだが、まだヘンリー・ダーガーという人物のこともよく知られていなかった時期で、一般に彼のことを知的障がい者として捉える見方が多かったと思う。それはじっさいにダーガーが12歳のときに精神薄弱児施設に入所していたことにもよるのだったろうし、わたしもそういう視点から彼の作品を観ていたし、この『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』という本を読むまで、その考えを改めたわけでもなかった。
それで今回この本を読んでというか、まずは収録されている数多くの彼の絵画作品(もちろん、彼のあまりに長大、巨大な規模の小説作品の挿画として描かれた作品なのだが)を観て、一般にいわれるようにヘンリー・ダーガーの作品を「アール・ブリュット」の系譜の中で捉えようとすると、何か大きなものを見落としてしまうように思った。
それはダーガーは美術教育など受けていたわけではなく、稚拙といってしまえる部分もあるのだけれども、ダーガーが蒐集した雑誌のイラストなどをトレースして組み合わせた「絵画作品」は、構成もしっかりしているし、一枚の作品をひとつの色調で統一するような色彩感覚もいい。そして何より、絵の中の遠近感の描き方が正しいというか、それら全体として「これは知的障がい者の描く絵ではない」と思えた。もちろん、そのような障がいを持ちながら絵画的能力に秀でた人たちも存在するのだが、そういう種類の人たちともどこか違うようにも思う。
だからこうやってヘンリー・ダーガーの絵画をこうやって久しぶりに眺め直すと、そこに「これは知的障がい者の絵だから」という先入観もなかったしそのように思うこともなく、一種「優れた絵画作品」として感銘を覚える自分がいたのだった。
もちろん、ではだから「ヘンリー・ダーガーはまったくノーマルな人物だった」と思うかと問われれば、やはり「そうではないだろう」と答えるしかない。そういうところで、彼は「障がい」というのではない「異常さ」を抱えていた人物だったろうとは思う。幼いころの母の死と妹との別離、十代のときの父の死とか、彼の精神に影響を与えた環境というのはそれはいろいろあったのだろうけれども、わたしはあまり精神分析的な捉え方はしたくないし、そのような読み解き方をした、この本に掲載された丹生谷貴志という方のエッセイにも、教えられるところもあったとはいえ、「そうとも言い切れないのではないか」という気分も強い。
この本には建築家の坂口恭平氏の短いエッセイも掲載されているのだが、わたしはこのエッセイに強く共感した。曰く「ヘンリー・ダーガーは、物語を書いたのではなく、もう一つの世界をせっせと紡いでいたのである」とあり、そのあとに印象的な文章がつづいていた。
豊かさの基準が一定で、お金がないだけで虐げられる世界で埋め尽くされていると思われている今、ヘンリー・ダーガーはアウトサイダー・アートというよりもアートの語源そのものである「生き延びるための技術」を示しているように思う。
人それぞれに「非現実の王国」の芽は存在する。
わたしの思った、ヘンリー・ダーガーの「異常さ」とは、まさに彼が今の世界では例のない、根源的なアートを創出しているところに感じるのかもしれない。