ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』マイケル・ドハティ:監督

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 久々に観るハリウッド映画。わたしはもともとゴジラ映画は嫌いじゃないし、この映画の元ネタの『三大怪獣 地球最大の決戦』も幼いころに映画館で観ているから、この映画への興味も強かった。それに、『シェイプ・オブ・ウォーター』のサリー・ホーキンス、そしてチャン・ツィイーという好きな女優さんも出演している。観ました。

 いちおうストーリーの核にあるのは、今は離婚した夫婦とその娘との「家族」がメインになっているのだけれども、そこに「家族愛」とかなんとか感じないのは、展開に「無理矢理」感が満載だからだろうか。
 まあその家族を包括するように、地球上の怪獣らを研究しているという「モナーク」という組織があって、だいたいの「人間」はこのモナークに所属する人間。そこになんか、チャールズ・ダンス(この俳優さんは知ってた)の率いるゲリラみたいなのが出てくるんだけれども、コレは要するに、メインの母子をモナークからさらって行くために出てくるのだね。
 はっきりいって、そのメインの家族以外の役者さんたちは基本ただ突っ立てるだけというか、まあ怪獣に揺らされるだけの演技。「役者さんの演技を楽しもう」などという映画ではなく、サリー・ホーキンスもけっこう早くに死んじゃうし、チャン・ツィイーもつまりはそのお顔を拝めただけ。このシリーズの最初の作品だった『ゴジラ』(2014)でも、ハリウッド俳優ではないシリアス映画で活躍する非ハリウッド系俳優としてジュリエット・ビノシュが出ていたわけで、チャン・ツィイーも多少はそういうニュアンスでの出演となったのかと思ったりするけれども、そこは出番は少なかったけれどもちゃんと「存在感」を見せたジュリエット・ビノシュの方が印象に残るだろう。これはチャン・ツィイーのせいではなく、監督の演出力の差だと思う。残念だった。
 けっきょくストーリー展開も「怪獣」を前にしての「自己犠牲」を繰り返すというところだし(日本版さいしょの『ゴジラ』での芹沢博士と同名の博士を渡辺謙が演じていて、そのときゴジラを倒した「オキシジェン・デストロイヤー」という必殺兵器も登場するのだが、「必殺」ではなく、いったい何の意味があったのか?という感じだ)、ま、怪獣たちを前にして人間どもの影は薄いのだった。

 さて、じゃあ怪獣たちはどうかというと、たしかにそのバトルはすごいよねーというところはあるけれども、わたしはどの怪獣もその造形は好きじゃない。
 そもそもの「主役」のゴジラは、前作のときから「首のくびれ」がなくって「立ち上がったトカゲ」っぽくってイメージが違うなあと思っていたし(まあ、『シン・ゴジラ』のあの太ももパンパンのゴジラも嫌いだが)、ラドンにしても(英語だと「ロダン」?)わたしは日本版の方が好き。モスラはさすがに日本版は頭デカすぎて「それじゃ飛べねえよ」というところはあったわけで、そういうところは改善されてていいけど、まあ「何か武器が必要だね」というせいで造形された前足の爪は、ちょっとアンバランスな気がした。それで「キングギドラ」だけれども、がんばってはいるけれども、これは『三大怪獣 地球最大の決戦』で名古屋の街を三本の首を振りながら駆け抜けるギドらの姿はまさに「神話の獣」というか「神がかり」な美しさがあったわけで、あれから60年経って、CGとか特撮技術が格段と進歩しているはずなのに、日本版の「美しさ」に遠く及ばない気がした。

 で、この映画でいちばんよかったのは、本編が終わってのエンドロールのとき、美しいアレンジの「モスラの歌」(この曲は古関裕而の作曲だったのだね)がフル・オーケストラで聴けることと、あの「ゴジラのテーマ」もまた、格調高く演奏されたことではないだろうか。わたしはちょっと泣いたのだ。
 って、『三大怪獣 地球最大の決戦』を、また観たくなってしまった。