ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

国立文楽劇場開場35周年記念 5月文楽公演『通し狂言 妹背山婦女庭訓』第二部 @半蔵門・国立劇場本館 小劇場

        

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この人形は「お三輪」。

 大作である。第一部の「大序」から第二部の「金殿の段」まで、通して観れば休憩が入るとはいえ10時間半も劇場に拘束される。ほんとだったらその「金殿の段」のあと、五段目の「志賀都の段」で大団円になるのだけれども、それじゃあ観客が帰れなくなると考えたのか、残念なことにその五段目だけは今回は上演されない(でも、「大序」が上演されるのはおおよそ百年ぶりのことらしい)。
 わたしも一日のうちに第一部と第二部をつづけて観たいとも思ったのだけれども(きのうMさんはそれをやったらしい)、やはりそれは寿命を縮めてしまいそうなので第一部と第二部を別の日に観ることにし、先週ローザスを観たりしたのとかいろいろな都合で、どうしても第二部を先に観ることになってしまった。

 ‥‥第二部、大変である。いきなり全体の超クライマックス、まさに「山場」の三段目の「妹山背山の段」、通称「山の段」から始まる。舞台には中央に吉野川が流れて舞台を分断し、上手にも下手にも太夫と三味線のための「床」が設けられている。上手側が背山で、久我乃助の屋敷があり、下手側は「妹山」、こちらには雛鳥の屋敷がある。両家はいろいろと事情があって不仲というか交際は絶たれているのだが、第一部の方でその久我乃助と雛鳥が恋仲になってしまうのである。しかもそこにこの作品での大悪党の蘇我入鹿の目論見が加わり、雛鳥も久我乃助も死ななければならないという運命が待っている。
 まあそういう設定もすごいのだけれども、とにかくは浄瑠璃の方も上手と下手とで交互に競い合う形になり、それぞれ義太夫も二人ずつ登場するし、三味線も前半と後半とで交代する。しかも下手側には後半で琴の出番まである。いやあ、文楽に「琴」が使われるというのを聴くのも初めてのことだ。
 それで上手の太夫は竹本千歳太夫、下手側は豊竹呂勢太夫というのもすごいし、とにかくはわたしが近ごろ文楽でいちばん楽しみにしている、鶴澤清治の三味線が下手側で聴けるのだ。
 いや、まあトータルな話は置いておいて、やはり鶴澤清治。この二時間を超える「山の段」で、後半を受け持っての登場。この人の三味線は音が柔らかいし、どこかブルース・ギターに聴こえるではないか、というのがわたしの勝手な感想なのだが、この日はスロースタートというか前半は抑え気味で、いつもの「うなり」も聴かれない。それがだんだんに熱を帯びてきて聴き手の心をつかんで行くのが鶴澤清治で、「うなり」も出てきて最高潮。やはりこの人の三味線は素晴らしいと思っていると、さらに棹を持ち替えて、その「琴」との共演が鶴澤清治なのだった。ほぼユニゾンでの音運びなのだけれども、雛鳥とその母の定高の心の動きをなぞるような音はやはり素晴らしい。こういうところで「文楽が好きでよかった」と思ってしまったりもする。
 人形の方では雛鳥の後半を担当した吉田蓑助の評判が良かったようだけれども、わたしは、人形の後ろ姿のあでやかさを見せてくれた前半の吉田蓑紫郎が好きだ。

 この「山の段」が終わると25分の休憩で、みんな持ってきたお弁当とかをロビーで食べたりして一段落。もう「山の段」があまりに強烈だったのであとはどうするのよ、という感じなのだが、このあとの四段目は町娘の「お三輪」をメインに、またちょっと奥行きの深い「悲劇」をみせてくれる。「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」は男一人、女二人の三人での「道行」踊りで面白いのだが、ちょっと音が弱かった感じもした。
 パンフレットにも「誰もがお三輪ちゃんを好きにならずにいられない」みたいなことが書いてあったけれども、たしかに好きな男のために身分不相応なところにまで足を踏み込み、その燃え上がる嫉妬心を「入鹿征伐」のために捧げるかたちで死んでいくお三輪はあまりにいとおしく、ここはずっとお三輪を操った桐竹勘十郎の「人形遣い」に見ほれるのだった。

 まあ第一部を観ていないので、トータルなかたちでの感想はまた後日というところだけれども、文楽の公演はこういう感じでその「全体の一部」だけの上演というケースが常態でもあるから、この日の上演はこれはこれで大満足なのだった。さあ、第一部は明後日だ。