ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち』@新橋・パナソニック汐留美術館

        f:id:crosstalk:20190527200759j:plain:w400

 ちょうど今、クリムト、そしてラファエル前派と、19世紀末から20世紀初頭に「女性たち」を描いた画家たちの展覧会が並行して開催されている。蠱惑的な女性の魅力をカンバスに定着させた作品が集まった感があるけれども、もちろん作家それぞれで「女性像」は異なるわけだ。それらの作家の「創造の秘密」に迫るアプローチにはさまざまなアプローチがあるだろうけれども、このモロー展ではずばり、展覧会のテーマ自体を「宿命の女たち~ファム・ファタル」としてギュスターヴ・モロー像に迫る。

 じっさい、クリムトの作品にみられる甘美さとほのかなミソジニー的空気、ラファエル前派の作家の描いた「オレの愛した女」みたいな立ち位置(バーン=ジョーンズはちょっと違うだろうが)と、モローの作品に描かれる神話世界の女性たちとには、やはり大きな差異があるだろう。ここにもう一人の画家、同時代のベルギーのフェルナン・クノップフの名を挙げると、「世紀末の画家たちの女性観」として面白いことが考えられそうで、やってみたくなる。
 しかしそれはわたしなりに考えてはいても、こうやって文章に写すとなるとなかなかにテーマが大きすぎるようで、簡単に書き終えられるような問題ではない。今日はもうちょっと安易なアプローチでお茶を濁そうと思う。

 まず、クリムトにせよ多くのラファエル前派の画家にせよ(ここでもバーン=ジョーンズは<例外>となり、彼とモローとの親和性というものを別に考えなくてはいけないのだが)、そしてクノップフにせよ、彼らが描いた女性たちのモデルというのはちゃんと実在するというか、特定出来る(そしてそのモデルと画家との関係がクロースアップされる)。しかし、モローの作品に描かれた<女性>にじっさいのモデルはなく、そういう意味で彼女らは<想像された>女性なのである。
 ではそんなモローに<想像された>女性とはどのような女性なのか?というひとつの答えが「ファム・ファタル」ということなのだが、今回の展覧会でもひとつのテーマになっていたように、モローはまずは母親を溺愛し、それは普通に言えば「マザー・コンプレックス」だろうというレベルのものである。そして、良く知られているようにモローにはアレクサンドリーヌ・デュルーという恋人(といっていいのだろう)の存在があったのだが、そんなモローが溺愛した母親、そしてアレクサンドリーヌとの関係から、「ファム・ファタル」というキーワードを紡ぎ出すことはむずかしく思える。
 ここで、今回の展覧会での「思わぬ発見」というものがあるのだが、それはモローの作品ではなく今回掲示されていた(図録にも掲載された)モローの年譜のことなのだが、その1858年2月、モロー32歳(正確には31歳)のときに母ポーリーヌが息子モローに宛てた手紙のことが書かれているのだが、そのまま引用すると以下の通り。

2月、母ポーリーヌは息子に宛てた手紙の中で、マリーという女性の妊娠や、彼女の健康上の問題、最近の結婚について触れている。ポーリーヌは、息子がこの女性と結婚しなかったことを喜んでいる。この女性は、友人で画家のベルシェールの手紙の中に登場する「高貴な女性」のことであると考えられている。

 ‥‥むむむ、これじゃないのかな? 彼女こそ、のちにモローの(絵画上の)女性観に大きな影響を与えた存在ではないのか。モローが生涯の恋人、アレクサンドリーヌ・デュルーと出会うのが翌1859年だということも、いろいろと想像をたくましゅうさせられてしまうではないか。
 わたしは今回の展覧会の図録のほかに、1995年と2005年に東京で開催されたモロー展の図録を持っているのだが、その古い図録のどちらの年譜にも、マリーという女性のこと、「高貴な女性」のことは書かれていない。しかし、この母の手紙では、モローはそのマリーという女性を妊娠させたようにも読み取れるし、結婚話にまで発展していたようでもある(文面から読み取ると、マリーは別の男性と結婚したのだろうか?では子どもは?)。そうだとすると、モローの「ファム・ファタル」なる観念の、実生活上のリアルなモデルとは、この「マリー」という女性なのではないのかと思ってしまう。
 はたして、この「マリー」とモローとの関係は、今まで向こうでは知られていたことだったのか。それとも近年になって発見されたことなのか(というのも考えにくい気もするが)。いずれにせよ、わたし的には、その女性を軸としてモローの女性観、その作品との関係を考察するような研究があれば読んでみたいものだと思う。
ファム・ファタルについて、思うことを書こうと思っていたが、長くなるし時間がないのでやめた。)

 さて、そういうことはひとまずおいて、今回の展覧会はパリのギュスターヴ・モロー美術館からの作品だけで成り立つ展覧会であり、これは2005年のBunkamuraでの展覧会もやはりモロー美術館からの貸与作品での展覧会ということは同じで、じっさい2005年にも来ていた作品の再展示も多い。そして今回の作品数はせいぜい80点ぐらいのものであり(巡回展ではもっと展示されるらしく、図録には「そんな作品は展示されてなかったよ」という作品が多い)、ま、観てまわるのにそんなに時間はかからない。そんな中で完成度が高い油彩画というのはサロメを描いた「出現」だとか、「一角獣」だとか、数点に過ぎない。
 しかし、では不満足な展覧会だったかというとそういうことはなく、モローという画家がどのように作品を立ち上げて完成させていったのか、その路程がしっかりとわかるようでもあり、観ていて「作家の創造の秘密」を観る思いがするのだった。
 時にモローは抽象画、フォービズムを先取りした画家だったとの評価もあるが、そのように、「エスキース」として、色彩のマッスでまずは画面構成を追って行くようなアプローチがみられる。それとあのトレードマークのような、タトゥーのような螺鈿細工のような<線描>があるわけだけれども、その組み合わせのメソッドも読み取れるような展示だった。