ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『白鯨』ハーマン・メルヴィル:著 阿部知二:訳

 何十年ぶりかに再読。やっぱり面白い。退屈だけれども面白いのだ。これこそ古典文学の醍醐味。
 わたしが読んだのは阿部知二による日本初訳版で、格調高いというか、「そうか、日本語にはそういう表現もあるのか」という、これは自ら小説家であった阿部知二の渾身の名翻訳だと思う。日本語の豊かさをも知らしめられる思いがする。

 そしてやはり、このメルヴィルの原作の「とてつもなさ」こそも驚愕で、とにかくはまず<鯨>という生き物についての、そして<捕鯨>という事象へのさまざまな視点を取り込んだ、「鯨の百科全書」的書物であり、そのものがたられるストーリーは「神話」的な壮大なスケールを持っている。いくらメルヴィル自身が捕鯨船に乗り込んで<捕鯨>を実体験したとはいえ、ここまでにその体験を昇華しての執筆というのは、どこか「奇蹟的」という感想が浮かぶ。

 物語の骨子は、エイハブという、狂気をもはらんだ執念の男の<運命>へと突き進んで行く強烈なストーリーと、そのエイハブが船長であるところのピークォド号に乗り合わせてしまった、さまざまな男たちのドラマとが交差する。
 小説のほとんどのパートでエイハブ船長はまず姿を現すこともなく、どこか正体不明な人物なわけだけれども、ピークォド号が「モビィ・ディック」を発見してからはそれまでの展開が信じられないほどに雄弁になり、まるで運命に導かれるシェイクスピアの主人公のように、その<運命>へと飛び込んでいくのだ。

 ‥‥わたしは実は、久々にこの膨大な分量の小説を読み始める前、あのナボコフの『ロリータ』は、主人公のハンバート・ハンバートの<ニンフェット>への執念とか、ナボコフによる<ニンフェット>へのト書きとかから、「ナボコフは『ロリータ』を書くにあたって『白鯨』に影響を受けていたのではないか?」とも思っていたのだけれども、いやいや、あまりの『白鯨』の壮大さに、『ロリータ』がどうのこうのなどと考えながら読むのは、とっくにやめてしまったのですね。

 ところでわたしは、ごく幼い頃に両親に連れられて、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』を映画館で観ている。どうもその作品は一般には「失敗作」とみなされているらしいが、わたしはその映画のラストで、エイハブ船長を演じたグレゴリー・ペックがロープで白鯨の身体にがんじがらめにされ、海に沈んでいくシーンは記憶しているように思う。いっしょに映画を観た母が、映画を観たあとに父に、ロープに縛られたエイハブが沈んでいくときに手を振り、それが「おいでおいで」をしているように見えたね、と話していたことはしっかり記憶している。
 これは今回原作を読むと、そうやって白鯨の身体にロープでがんじがらめにされたのはエイハブ船長ではないことがわかるのだが、これをエイハブとしたジョン・ヒューストンの演出はそれはそれでいいのではないかと思う。また、そのジョン・ヒューストン版の『白鯨』を観てみたいものだと思うのだった。