ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

少年王者舘『1001』天野天街:作・演出 @初台・新国立劇場

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 少年王者舘は、わたしがずいぶん早くからファンになった劇団である。今回売られていたプログラムに載っていた「略史」をみると、おそらくわたしは1997年の『御姉妹』あたりから観始めたのではないかと思う。20年を超える観劇歴だ。そのあいだ、出演者の変遷などから舞台の印象が変わったところもあるけれども、基本のところはいつまでも変わらない。それは執拗な「ことばあそび」であり、舞台空間の特性を利用した時空間の「ねじれ」の現出であり、そしてその独特の「ノスタルジア感覚」だろうか。以前は「これを百万回繰り返す」と脚本に書かれていたという、しょーもないギャグを延々と繰り返すという「見せ場」もあったものだ。最近はそのあたりは多少後退しているとはいえ、やはり「反復」というのは少年王者舘のひとつのポイントだ。そして劇空間が日常からの「異化」だとするなら、その「異化」をもういちど日常に投げ返して混乱を招くような作劇は健在だ。今回も、開演前の「場内アナウンス」を執拗に反復し、そのたびに客電を明るくして「これは<舞台>という虚構なのだ」と観客に知らしめる。

 今回のタイトルの『1001』とはつまり、「千夜一夜物語」であり、「一千一秒物語」でもある。舞台中央のテントの向こうには、陽の落ちようとする砂漠の拡がる「この世ならざる世界」があるのだ。そんな世界に足を踏み入れる、白シャツに学生帽の少年の姿は、どこか松本雄吉氏の「維新派」の少年を思い起こさせられるし(かつて少年王者舘維新派と共同した舞台をも製作している)、いつもとは違った奥行きのある舞台にいつもより多くの出演者がみせてくれる世界は「少年王者舘」の過去の総括のようでもあり、五人の巫女のような女性らによる、交互に上からのスポットライトを浴びながらの長い長いモノローグ(五人で一人なのだ)にはやはり心がグッと持って行かれる。

 描かれる「この世ならざる世界」はそれでもやはりこの「令和」の日本に回帰し、天野氏の脚本はいつもになくこの今の日本への危惧を表明している。そもそもが出演する人物らはどこか「昭和」の空気を漂わせる人物ばかりなのだが、「昭和天皇」の映像を流しながらも、「平成」などすっ飛ばして「令和」へとワープする。

 今回の「新国立劇場」での思いがけない公演は、新しく新国立劇場の演劇芸術監督に就任した小川絵梨子氏がそもそも「少年王者舘」の大ファンだったことから実現したものという。まあやはり今年一年限りのものだろうかとは思うが、それでもこれだけ奥行きのある舞台での少年王者舘の演出は魅力的だった。出来ればまた来年も、この新国立劇場で観たいものだとは思った(チケット代は高いのだが!)。まだ書きたいことはあるけれどもこのあたりで。