ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-04-30(Tue)

 今読んでいる本:
 ●ハーマン・メルヴィル『白鯨』(ずいぶん昔にいちど読んだ)
 ●ウンベルト・エーコウンベルト・エーコの世界文明講義』(去年読んだけど、寝る前にちょっとずつ再読中)
 ●『アートになった猫たち』(先日観た展覧会の図録本。息抜き、リラックスタイムのために)
 ●世界の名著『プルードンバクーニンクロポトキン』(また、アナーキズムに興味を持ったので)
 
 「世界の名著」の、冒頭の解説の部分を読んだのだが、やはり19世紀のアナーキストらには、「夢想家」という印象がつきまとう。それはジョン・レノンアナーキズム的な名曲『イマジン』で、「You may say I'm a dreamer」という歌詞にも対応するだろう。アナーキズムは一見、今現在の世界情勢への対応力は持っていないように思えてしまう。
 このことで思い出すのは、しばらく前にかつての友人とやったFacebookでのやりとりで、彼は「ネトウヨは愚かで、彼らの考えは簡単に論破できる」みたいなことを言ったもので、「そんな簡単なものではないだろう、彼らの<テンプレート思考>は、今のリベラルが論破できるものではない」と思って反論したわけで、例えば「韓国が領土権を主張する<竹島問題>、中国が侵犯する<尖閣列島問題>をなどの領土問題を問うネトウヨの主張に、どう対処するのか?」と彼に問いかけてみたのだが、わたしの問いかけ方も悪かったので、彼はわたしがネトウヨに変節したと思ったようだった。それならそれで、彼が言うようにわたしを論破すればいいわけだが、そこで彼は「わたしはアナーキズムにもシンパシーを持つので、<国家の廃絶>という理想の前に、<領土問題>は意味を持たない」と答えるのだった。‥‥これはまったく答えになっていない。それではある国がアナーキズム理論を実現して国家を廃棄したらば、そのとたんに、あらゆる意味で近隣諸国のえじきにされてしまうのではないか。このあたり、気分的に「アナーキズム」を理解する人たちの「どうしようもなさ」がある。
 もしもそのような理想的な<国家なき>アナーキズム世界が実現するとしたら、それは柄谷行人が書くように、カントの提唱した「世界連邦」のような形でしかありえない。今の世界情勢で、一国だけが<国家の廃絶>を実行することはまったくナンセンスなのだ。例えある国がアナーキズムの理想に近い、例えばサンジカリズム的国家を実現したとしても、その国はどうやってでも政治的にも経済的にも国を防衛しなければならないだろう。というか、政府なき国家がどのように外交を行うというのか。ここにアナーキズム世界実現のむづかしさがある。
 もちろん、マルクスレーニン的な共産主義理論がナンセンスとなった今、リベラルであることはどこかでアナーキズム的思想こそが求められるものではある。しかしその思考はどこまでも「批判」のための思考であり続け、ではもし仮にアナーキズム政党が政権を取ったならどうするか?という答えは出ていないのではないか*1
 このことでまだ考えていることはあるのだけれども、今日はここまで。

 今朝はどうやら雨が降っている。今日も暖かい日ではない。雨が降っていてもお出かけすることにして、『ジョセフ・コーネル展』を観に行こうと考える。もういちど美術館までの経路を確認しようと美術館のHPを見ていたら、片隅に「本日休館日」という文字が見えた。おっと、がっかり。「それでは」と、せっかく昨日から始めた作業を継続することにした。ひとつのアイディアが面白そうに思え、ちょっと突っ込んでやってみたら出来そうだった。まずはコレを完成させよう。その他にも、完成させたいアイディアはいくつもいくつもある。

 そうした作業を続けたり、本を読んでいろいろ考えたりしたら興奮してしまったのか、夜なかなか眠れなくなってしまった。BGMに、ビル・エヴァンスを聴くのだが(今、彼のドキュメンタリー映画が公開されていて、これもぜひ観てみたい)、かえって目が冴えてしまった。
 

*1:これはあとで書き加えるのだが、「アナーキズム政党」などというものが存在するわけがない。わたしもバカだ。仮にアナーキストが勝利するとしたら、それはまさに、<革命>によってだろう。