ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-04-25(Thu)

 かつてわたしの主宰したイヴェント"crosstalk"に参加していただいていたTさんが、つい先ごろTwitterを始められたようで、わたしのことも見つけてくれてフォローしてくれた。今日になって、Tさんと交流のあったSさんからTwitterでメッセージをもらい、連休中にTさんと会うので来ないかという。それはもちろん願ってもないことで、「行く」と返事した。Tさんに会うとすれば何年ぶりのことになるだろうか。その強烈なパフォーマンスと、冷徹な「ダンス」への批評眼とで<伝説>の存在といってもいいTさん。一線から姿を消してもう十年以上になるだろうし、わたしも栗東でのTさんの問題になった(それこそ<伝説>の)公演以来、お会いしたことはない。何年か前にSさんから「Tさんは東京に出てきてるんだよ」と聞いてはいたけれども、その後の消息を聞くことはなかった。ここにきて突然の展開に、ちょっと驚いてはいる。

 わたしは今、"crosstalk"の遺産で生きているようなものでもある。「わたしはかつて"crosstalk"というイヴェントを主宰し、そのイヴェントにはこんな人たちが参加してくれていた」と話をすれば、いってみればそれなりの「リスペクト」を受けるのだ。実は今のわたしの交友関係にある人たちのたいていは、わたしの"crosstalk"の観客だった人はいないし、つまり皆、じっさいの"crosstalk"を知っている人はいない。それでも、「"crosstalk"をやっていた人」という認知をしてくれるのである(もちろん、当時"crosstalk"に参加してくださった方との交流はまだつづいている)。
 そんな、"crosstalk"の説明をしようとすれば、「あのTさんも出演してくれていた」といえば、かなりの説得力を持つことにもなる。

 今日もそんなことで、"crosstalk"の当時のことを思い出したりもしたのだけれども、それは別にわたしがとび抜けた企画力とかプロデュース能力を持っていたということでもないとは思う。ただ、あのときわたしの前には「隙間」があって、わたしはうまいことその中に飛び込んでいったのだし、今思えばあのときのわたしの行動力は自画自賛してもいいものだったと思う。よくあんなこと実際に実行したものだと、多少は自分のことを褒めておこう。
 あのときわたしはつまらないコネクションしか持っていなくって、それでもそんな「つまらないコネクション」を手がかりに、もっと大きい、知らない世界に飛び込んでいったのだった。そのことで今、教訓的なことを書いておけば、その頃わたしは「Small circle of friends」というのが大っ嫌いになっていた。わたしはその頃は美術の世界に首を突っ込んでいたのだけれども、わたしの周りの連中は「自分らよりもっと上の世界」があることを見ようとせず、自分らの交友関係の中だけで充足し切っていた。まずは「新しい観客」を呼び込もうという努力をせず、メディアにもてはやされるアーティストらに、酒を飲んでルサンチマンを晴らすようなことしかやっていなかった。
 わたしは当時そんな自分の世界の外のことはまるで知らず、特に今ではわたしも入れ込むことになる「ダンス・舞踏」の世界のことなどまるで知らなかった。ただ、「自分の知らない<上>の世界があるはずだ、その世界に足を踏み入れたい」という気もちだけは強かった。それが"crosstalk"をやろうと、舞台を埋めてくれる人たちを募ったところ、そういう「ダンス・舞踏」関係の人たちが思いもかけずにたくさん参加してくれた。このことがわたしの人生も変えてくれたと思う。そのときに参加してくれた人たちが、今も第一線で活躍してくれている人が多いこと、それは「わたしの誇り」と思うこともあるけれども、考えればそれはわたしの「手柄」ではない。わたしは単に「隙間」に入り込んだだけだったのだと思う。でもしかし、あの"crosstalk"開催に熱中していた2~3年のあいだ、たしかに、どこかでわたしは「超人」だったと、言ってしまっていいと思う。それだけのリスクは払ったし、人一倍の努力はした。そしてそんなわたしを支えてくれたのが、当時"crosstalk"に参加して下さった(ほんものの)アーティストの方々のおかげだった。

 わたしはこれから先の「生」をどのように生きるのかわからないけれども、どこかでこれからも、「わたしは"crosstalk"をやったのだ」という思いが支えになってくれることだろう(それは「今でもそんなことに頼っているのか」ということでもあるのだが)。SさんといっしょにTさんと会うことが、楽しみである(ちょっとこわい気もするけれども)。