ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『美術館学芸員という仕事』日比野秀男:編著

美術館学芸員という仕事 (仕事シリーズ)

美術館学芸員という仕事 (仕事シリーズ)

 わたしがこの本に興味を持ったのは、現在の多くの美術館での現代美術の展示において、その展覧会の企画を行うキュレーター(学芸員)の存在がクローズアップされていることに注目するからで、現代美術に限らず、たいていの美術展で図録(カタログ)を買うと、その作家論をその美術館の学芸員が執筆しているケースが多くなっている。
 これは今では「美術評論家」という存在がほぼ消滅し、過去のように文筆家(多くの場合は詩人)が作家論を書くということもなくなってしまった今、美術館学芸員の存在は大きくなっているように思う(一方でアーティスト自身が美術全般について語ることも多くなっていると思うが)。このことは美術雑誌など美術ジャーナリズムの衰退と並行して起こっていることで、つまり今は、美術館の学芸員(キュレーター)という存在にこそ注目したいわけではあります。

 この本は1994年に刊行されたもので、まさに「職業としての<学芸員>とはどのような業務を行い、その実態はどのようなものであるか」という、プラクティカルな問題の語られた本で、現場の学芸員らからのレポートも多く寄せられ、「これから学芸員になろうとする人たちへ」の心構えを説く本といえる。
 学芸員の仕事として、<収集・保管・公開>、<教育・普及>、そして<調査・研究>などがあげられているのだが、海外ではこれらの業務は分業制として担当が独立しているのだが、日本ではひとりの学芸員がこれらすべてを担当することになる美術館がほとんどだという。小さな館ではここにチケット販売、館内の清掃までも業務に含まれるところもあり、学芸員らは<雑芸員>と自らを呼ぶと。
 著者は学芸員の職業としての自己実現は<調査・研究>にあるとして、日常の業務をこなしながらもその合間、もしくは勤務時間外にも研究を重ねるべきであり、その成果として自ら勤める美術館で「企画展」を開催することのなかに、その最も大きな喜びがあるだろうという。それはそうだろう。

 しかしこれは「時代の空気」というか、まさに「日本的」というか、個々の学芸員の仕事量があまりに多すぎるというか、やはり海外のように学芸員の数を増やして、それぞれの本業を「分業制」にすべきではないかとは思う。この本はそういう「すべてを一人の学芸員がやってしまう」ハードワーキング状態を、「それはそれで外国のそれとは異なる長所もある」と、半ば肯定しているところがある。つまり今でも教師などで問題になっている「過労」の問題は、このときの「学芸員」の就労形態には読み取れるように思える。

 この本が刊行されてもう25年、つまり四半世紀が経っているわけだけれども、その間に、最初に書いたように学芸員という存在はクローズアップされるようになってきた。それで今でもまだ、この本に書かれているように<雑芸員>的な存在でいるのかどうか、ちょっとわからないところがあるというのが正直なところ。ただ、わたしがこの本に興味を持ったように、この四半世紀のあいだに「学芸員」という職業が、一種エリート的な職業として注目を集めるようになったことはまちがいない。そこには例えば長谷川祐子のようなスーパースターの登場ということもあったのだろうし、今では、特に「現代美術」の動向は、大きな美術館がどのような企画展を企画するかということが注目されることになり、そこでの「学芸員」の存在は「もう<美術評論家>など不要だ」と思わせられるほどの影響力を持っているものだと思う。
 この本で、そんな現在に通じる「学芸員」の日常業務を知ることができたということは、それなりに役立ったところはありましたのです。