ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『トゥモロー・ワールド』(2006) アルフォンソ・キュアロン:脚本・監督 エマニュエル・ルベツキ:撮影 P・D・ジェイムズ:原作

 原題は『Children of Men』という。これはまさに「ディストピア」映画で、先日読んだ多和田葉子の『献灯使』にどこか共通するような近未来世界が描かれる。
 時は2027年で、人類はなぜか「生殖能力」を失ってしまって久しい。世界で一番若かった17歳の少年が殺され、そのニュースが世界中を駆け巡る。世界中の国が内戦で壊滅状態になっていて、ただイギリスだけがなんとかかんとか秩序を維持していた。しかし世界から大量の不法移民が押し寄せ、テロは横行して秩序は悪化しつづけている。
 主人公のセオ(クライヴ・オーウェン)は政府機関に勤めているのだが、ある日、反政府ゲリラの「FISH」に拉致される。「FISH」の首謀者はセオのかつての愛人(妻?)のジュリアン(ジュリアン・ムーア)で、セオの力を借りて、ある不法滞在者の「通行証」を入手したいのだった。
 実はその「不法滞在者」のキーという女性は妊娠していて、出産も間近。人類にとって18年ぶりの「New Born Child」になるのだ。そのことをめぐって「FISH」内部でも新しい子を政治利用しようとする「分裂」があり、ジュリアンは殺され、その抗争から逃れるためにセオはキーとキーの世話係の女性ミリアムと共に逃走し、キーと新生児を救うはずの「ヒューマン・プロジェクト」の船舶が通過するという地点まで行こうとするのだ。

 話、映像自体がひしひしと臨場感にあふれ、わたし自身がもう「今の日本はディストピア世界に向かっている」という思いが日ごとに強まっていることもあって、「そのうちにこ~んな世界がわたしにとっての<現実>になるのではないだろうか?」と思ったりもし、せめてそんな世界では、この映画でのセオの友人のジャスパー(マイケル・ケイン)みたいに生きるしかないかな、などと思ったりした。

 『ゼロ・グラビティ』でも、同じエマニュエル・ルベツキの撮影で冒頭の<超長回し>に驚いたものだったけれども、この作品での<長回し>もすごい。冒頭の街頭でのテロリズムによるビル爆破シーンもすごいし、作品山場のセオがキーを守りながら逃げる戦闘シーンも強烈だけれども、わたしがいちばん驚いたのは、セオやキー、ミリアムらがジュリアンと共に車で移動中に武装集団に襲われてジュリアンが射殺されるシーンで、その狭い車中での撮影って、「いったいどこにカメラをセットしたのよ?」と思わせられる。みているとジュリアンの姿が見えなくなったりするので、これは単純に<ワンシーン・ワンカット>ではなく、複数の緻密な映像をデジタルに連結してカットのない<長回し>に見せているわけだな、と納得がいくのだが、それはそれでその緻密な撮影の組み合わせのプロジェクトは、並たいていの努力で出来るものでもないように思う。

 映画のラストで、キーとその新生児を救うためにあらわれる船が「Tomorrow」という船名で、そのことが邦題にリンクしたのだろうが、それを見ていたわたしは、黒沢清の『回路』のラストでの、役所広司の指揮していた船のことを思い出したりしたのだった。