ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000) ラース・フォン・トリアー:脚本・監督 ロビー・ミューラー:撮影

 わたしは今、現在形の映画に出ている役者さんのことをまるでわからなくなってしまっているのだけれども、この映画の公開された2000年ころの映画であれば、脇役まで「あ、この人はアレだ!」と、わかることが多い。この映画でいえば主演のビョーク、そして彼女を支える同僚役のカトリーヌ・ドヌーヴはもちろんのこと、ジャン=マルク・バール(この人は「グレート・ブルー」で主役を演じていた)とか、デヴィッド・モースとかすぐにわかるし、けっこうわたしの好きな俳優、ピーター・ストーメアが、すっごくイイ役で出ていてびっくりしてしまったりもするのだった(この人、あの「ファーゴ」でとんでもない殺人鬼を演じてたし、そういう<悪役>が多いのに)。あと、ウド・キアもちょこっと出ていた(この人はオリジナルの「サスペリア」にも出ていたっけ)。

 この映画、つまりは音楽、とりわけミュージカルが人の魂(たましい)を救いもするのか、という作品で、ある意味デスペレートな内容ながら、本来ミュージシャンのビョークが出演を快諾した(実は、だったかどうか知らないけれども)というのもうなづける。

 アメリカの片田舎の工場で、チェコからの移民のセルマ(ビョーク)が働いているのだけれども、彼女は先天性の病でいずれは盲目になることがわかっていて、だんだんに視力は弱くなってきている。それで彼女はシングルマザーでもあり、息子に病が遺伝することがわかっていたけれども、「子どもを持ちたい」と子を持つのだった。
 セルマが好きなのはミュージカルで、仕事を終えたあとに地元のサークルで「サウンド・オブ・ミュージック」を舞台でやるための練習にはげんでいる。彼女のヒーローは「ノヴィ」という、チェコのタップダンサー。
 彼女は自分が盲目になることは「運命」と受け入れているようだけれども、自分の息子のジーンには、手術で目の疾患を治癒させてあげたいと思っていて、そのために必死で貯金している。

 ‥‥あんまり詳しくあらすじを書こうと思わないけれども、その後の展開を簡単にいうと、すべての事情を知りながらセルマの貯金を盗もうとした男から、セルマは貯金を取り戻すために彼を殺してしまう(男もまた<大きな絶望感>を抱き「死んでもいい」と思っていて、セルマに「オレを殺してくれ!」みたいに迫るのだったが)。
 つまり、映画のラストで殺人罪で逮捕されたセルマは<絞首刑>に処せられ、映画はその<刑執行>のショッキングなシーンで終わるわけだけれども。
 その刑執行の直前に、息子のジーンの手術が成功したという知らせ。

 やはり印象的なのは、「音楽の力」とでもいった描写で、過酷な現実も、セルマの<空想?>の中では、すべて音楽を伴ったミュージカルの一シーンと変貌する。これは彼女の視力が失われつつあることと並行するわけで、「イマジナリーな世界」こそがセルマの生きる世界だと痛感させられる。
 いちばんすばらしいとわたしが思う描写は、彼女が監獄の中で「サウンド・オブ・ミュージック」の中の「私の好きなもの(My Favorite Things)」を歌うシーンで、この「私の好きなもの」という歌自体、「もしも恐ろしいことが起きても、自分が好きなもののことを思い出せばやりすごせるわ」という内容であり、この「絞首刑」を控えたセルマの<歌>として説得力があり、感動的なシーンだったと思う。

 わたしは、この映画には「<現生>をこえる素晴らしい<何か>」があるのだということをみごとに示したということで、「現生をこえる希望」を描いた映画として賛美したい。
 この映画での「手持ちカメラ」とか、ちょっと「どうだろう」という気もちもあるのだけれども、観終えたあとに思い返せば、これは普通のドラマの映画ではないのだという世界を提示したということで、成功していたのではないかと思うようになった。