ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-02-12(Tue)

 また今日から仕事。朝の通勤電車の中では読みさしの高橋源一郎の「日本文学盛衰史」を読むのだが、これがちょうど、田山花袋がAVの監督をやってしまうという章にかかるあたりで、とにかくは「とんでもないポルノチックな描写」が続き、こういうのを早朝の5時ごろに読んでいる自分もアレだが、それよりも周囲の通勤の人たちがふとわたしの読んでいる本をのぞき込んでしまって、「コイツ、こんな朝っぱらからなんて本を読んでやがるんだ!」などと思われてしまうのではないかと、読んでいる本もいくぶん閉じ加減に、コソコソと隠し気味に読むのだった。よけいにあやしい。

 仕事を終えて家に帰ると、発情期中のニェネントが「なんとかしてよ〜」と寄ってきてわたしの顔を見上げてくる。きっとニェネントもつらいんだろうかと思うし、こういうときはいつも、「やっぱり不妊手術を施してやれば良かったのかな」と思う。でも、ニェネントが幼いときはわたしも「超」の冠詞をかぶせられるビンボーだったし、いいわけがましくなるけれども、そうやってニェネントのからだをいじって、二度と子どもを持てないからだにしてしまうのも人間の身勝手のように思ったりもしたのだ。ニェネントだって「母性」というものは持っているわけだし、それを完全に取り上げてしまうことには今でも抵抗がある(これからどういう風に情況が変わって、「さあ、ニェネントくん、あなたの子孫を残しましょう!」ということにならないとも限らないのだ。そういう「可能性」の芽を摘んでしまいたくはないし、わたしはニェネントのお母さんのミイのことも知っているから、ミイの血を絶やしてしまうのも悲しく思うのだ)。もしもニェネントが男の子だったら、迷わずに去勢手術を受けさせているのだが(ネコの「父性」なんて期待出来るものでもないし、ニェネントだって、わたしのことを「図体のデカい、代理のお母さん」と思っているフシがあるのだ。ネコの世界では、「母性」こそが<偉大>な精神なのだ)。

 夕方から、昨日に続いてとなり駅の映画館にロブ=グリエの映画を観に行く。今日は「ヨーロッパ横断特急」という作品だ。予定では、金曜日まで毎日ロブ=グリエの映画を観ようと思っている。

 映画が終わって駅に近いスーパー「I」に立ち寄り、「このスーパーの<天ぷら盛り合わせ>は安くて美味しいんだよね」とまた買ってしまい、発情期で悩んでいるニェネントくんにも、「おみやげ」で「かつおの刺身」を買って帰った。
 どうもニェネントは「かつおのたたき」よりも「かつおの刺身」の方がずっと好みのようで、ちょっとあげると、もう飛びついて来るいきおいで奪って行き、夢中になって食べているという感じ。わたしもちょっとご相伴にあずかってみたが、たしかにおいしい。やはりスーパーの「I」は海鮮品も美味だし、ニェネントがグルメだということでもあるだろう。