ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史(戦後文学篇)」高橋源一郎:著

     

 ちょっと今原本が見当たらないのでたしかなことは書けないが、柄谷行人氏はその「日本近代文学の起源」において、「<日本近代文学>というものはすでに終わってしまっている」と書いてあったはずで、それはたしか1980年代に終わったのではないかと書いてあったような記憶がある。このあたり、柄谷氏も<近代文学の終焉>についてつきつめて書いていたわけでもないので、それがどのようなことなのかはわからないのだが(他の柄谷氏の著作を読めばわかるのか)、ここでこの高橋源一郎氏の著作を読み、わたしが期待したのはそのような、<日本近代文学の終焉>についての言及というか、つまりそういう「文学史」的な記述ではあったのだが。

 タイトルの「今夜はひとりぼっちかい?」というのはつまり「Are you lonesome tonight?」というプレスリーの曲名なわけだし、なんというか、ここで高橋氏はポップ・カルチャーのフィールドから<文学>に攻めにいったのではないかという印象があり、それが例えば「サイタマノラッパー」であるとか、内田裕也都知事選の政見放送とかへの言及から、そもそもが高橋氏自身が、<文学>のフィールドからはみ出して書かれている。
 具体的な<文学>への言及は、後半の石坂洋次郎の「光る海」まで待たされたように思うけど、ここでの「光る海」の内容紹介は大笑いで、電車の中で読んでいて、笑いを噛み殺すのに苦労しましたよ。
 ま、そもそも<日本文学史>の流れでは「傍流」というか、<純文学>とは見なされたことのない石坂洋次郎などを、なぜここで取り上げたのかと思えば、つまり石坂洋次郎は「戦争が終わった」というとき、映画化もされた「青い山脈」(1947)によって戦後の新しい社会、モラルを描いたではないか、ということが先にあって、その同じ人物(作者)が「光る海」(1963)において、いったいなぜここまでに<滑稽な・珍妙な>作品を書いてしまったのか、ということを問いかけているわけで、この問題提起はわたしは面白いと思う。

 しかし、せっかく「面白くなるかな?」と思ったこの本も、そのあとはつまり、「3.11」と「東京大空襲」とかをリンクさせて描くわけで、それはいってしまえば誰でもが思ったことがらでもあって、「東京大空襲」をじっさいに体験していない高橋氏が(いや、わたしも「実体験があればいい」などというつもりはないのですが)あたかもすべてを体験したがごとくに「3.11」の惨事と並列して書いても、あまり説得力は感じなかった、というのが正直なところ。
 さいごの章をこそ、高橋氏は「新しい時代の<文学>」と賭けて書かれたのかもしれないが、これはどこか阿部和重風でもあり、阿部和重ほどに面白いわけでもなかった。