ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「サスペリア」ルカ・ヴァダニーノ:監督

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 オリジナルのダリオ・アルジェント版「サスペリア」を継承し、アルジェント版ではわけのわからなかったストーリーの飛び方にひとつの「解決」をみせているリメイク、と思った。そういう意味で、パンフレットに江戸木純氏が「極めて正しい映画的継承」と書かれていることに同意する。しかし、この「解決」は「解決」で、アルジェント版の解釈として観客をぶちのめしてくれる。
 スクール(寄宿舎)を兼ねたダンス・カンパニーで、そこにはつまり女性しかいないというのもオリジナル通りといっていいのだが、オリジナルではバレエ・スクールだったのが、ここではコンテンポラリー・ダンスのカンパニーということになり、教師というか振付家のマダム・ブランを演じるティルダ・スウィントンは長いスカートに身を包み、手からタバコを手放さないということで、誰が見てもピナ・バウシュをモデルにしていることは明白。ではそのダンスもピナのヴッパタール舞踊団みたいなのかというとそこは違っていて、この映画ではダミアン・ジャレがダンスシーンの振り付けをしている。このダンスもこの映画の内容というかテーマをしっかりと作品化していると思えて面白いのだけれども、そのことはちょっと置いておいて。

 オリジナルの「サスペリア」が公開されたのは1977年だったけれども、そういうことでこのルカ版「サスペリア」の舞台は1977年のベルリンと設定され、当時のベルリンの地政学的背景がしっかり描かれる。「ベルリンの壁」は東西をはばみ、今まさに、極左グループの「バーダー/マインホフ」が崩壊しようとしている。ナチス・ドイツの悪夢を引きずって生きる人物もいるし、これらすべてが、クライマックスの「儀式」にからみついて行くようでもある。わたしは、この「背景」をしっかりと描いたということで、それだけでもこのリメイク版を支持したい。
 登場人物、その名前、そして殺されて行く順番とか、きっちりとオリジナル版を踏襲し、観ていればやはり、ラストにはラスボスのマルコス校長が登場するわけだなと期待するわけだが、その、オリジナルのヴィジュアルも踏襲したマルコス校長の登場する第6章は、思いもかけぬ強烈さだったし、ここでオリジナル版の展開は驚くべき変更をみせる。これはまるで、去年観たあの「ヘレディタリー/継承」のラストの継承儀式の再現であり、しかもこれが延々とスクリーンにつづく。書いてしまっていいのかどうかわからないが、とにかく映画はとつぜんにヨーロッパ中世の<魔女>の儀式になる。ここで、このダンス・カンパニーのメンバーがすべて<女性>である(あった)ことが、大きな意味になる。
 《いやいや、わたしはまあ<男>ですからね、えげつないシーンの延々と繰り拡げられるスクリーンを観ながら、「ごめんなさいごめんなさい、すべて男であるわたくしめが悪かったのです。詫びて悔い改めますから、どうかもう堪忍して、この儀式をやめて下さい」と願ったのだけれども、許してもらえないのです。たとえあのクロエ・グレース・モレッツが全裸になっていようが、「おおおっ!」などと思っている余裕もないのです。》
 ‥‥そうか、そういうことになったのか! と思いながらのラスト。ここでの「過去の消去」という展開はイマイチわからないが、ま、<魔女>さまのやられることにはもう、異存はございません。

 トム・ヨークのつけた音楽のこともいろいろと考えたいところだけれども、「最後の弾き語りが良かったね」みたいな凡庸な印象しか浮かばない。音楽のことを思いながら、もういちどこの「暴虐」に耐えてみるのもいいだろうとも思った。
 帰宅してあれこれと情報を得て、「ほぼ主演」ともいえるティルダ・スウィントン、実は観ていても全然わからないこともやられていたことがわかった。このことを確認するためにも、もういちどこの「暴虐」に耐えてみるのもいいだろうか?
 いちおう主演といえるスージー役のダコタ・ジョンソンという女優さん、観るのは初めてだと思うけれども、調べるとメラニー・グリフィスの娘さんということで、ということはつまり、ティッピ・ヘドレンのお孫さんということだ。たしかに魅力的な女優さんだと思った。記憶しておこう。