ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「山椒大夫」(1954) 溝口健二:監督 依田義賢:脚本 宮川一夫:撮影

 かつての戦後の日本映画隆盛期の「三大巨匠」として黒澤明小津安二郎、そして溝口健二の三人の監督の名が挙げられることが多いと思うけれども、今、黒澤明小津安二郎のことを「やはりすごい!」という人も多いが、それにくらべると、今の溝口健二監督の評価はいまひとつ低いように思う。しかし、わたしがいちばん好きな映画監督は、やはり溝口健二である。
 映画スクリーンの中での自立した世界の中で、そこにどれだけ<美しい>世界を描いたか、どれだけ映画空間の中にきっちりとした世界を<現実>から切り抜き、「これが<映画>だ」という世界を提出したのが溝口健二監督だと、わたしは思う。
 それはもちろん、黒澤監督も小津監督も、自分の映画の中に「これが<映画>だ」という世界を提示したわけで、そこには監督の抱く<世界観>が示されていたわけだし、世界の映画監督、<巨匠>と呼ばれた監督らは皆、そういう<世界観>を提示したわけでしょう。
 しかし、溝口監督がすごいのは、映像としての強烈さ、そこでその中で演じる役者らとの調和があり、「映画」というものの美しさ、映画ならではの<美>を提示されたことにあるのではないかと思う。その中で、撮影カメラの動きと俳優の動き、そして美術(セット)との共同作業(「コラボレーション」というんですか)との強烈さというのは、いまだに唯一無二のものではないかと思う。わたしは溝口監督の作品を観るたびいつも、その表現の強烈さに打たれる。

 今日はそんな溝口作品から、溝口監督の絶頂期にあった1954年の作品、「山椒大夫」を観る。もちろん原作は森鴎外。一般に「安寿と厨子王」として知られる中世の説話で、荘園に拉致されていた奴隷的身分の人々の解放という、今日的なテーマが含まれていることも、この作品が評価された理由でもあったことと思う。
 けっこう、十年とか二十年とかの長い期間のことが描かれた作品で、通底して登場する「主演役者」というのも存在せず、観ていても「群像ドラマ」という面も強く感じられるけれども、安寿、厨子王と母との悲しくも非情の別れ、そして奴婢としての生活、厨子王の脱走と安寿の自死厨子王の出世と奴婢の解放、そして地位を捨てての母探し、というドラマが描かれる。
 そういうドラマの流れの中で、やはりまずは「人買い」に安寿と厨子王がさらわれて母と別離する海辺のシーンがあり、そして厨子王を脱走させたあと、入水自殺を選ぶ安寿の池での入水シーン、そして佐渡の海辺での厨子王と母との再会という、ラストのすばらしいシーンがある。これらのシーンがそれぞれ、皆「水辺」である、ということが、連動して感動を深めている気がする。
 こういうポイントになるシーン以外でも、そんな奴婢らの労働シーンとかでの立体的な演出、山椒大夫の荘園での反乱シーンなど、ダイナミックな場面が続き、溝口監督の力量を感じさせられる。これらのシーンは溝口監督らしくも長回しで撮影され、持続する展開の強烈さに打たれるし、撮影監督の宮川一夫の力量も強く感じられる。
 安寿(香川京子)の入水シーンは、まずはひとつの映画的クライマックスで、このシーン、先日テレビで宮川一夫を描いたドキュメンタリーが放映されたときに(わたしはこの番組をみていないのだが)この場面の撮影のことが言及され、つまり、笹薮越しに池が見える画面に安寿が池に入って行くのだけれども、その画面の手前に見える笹薮の笹の葉を、すべて墨で黒く塗って撮影したのだという。観ていて、その明るい水面を際立たせる、手前の笹の葉の黒さとの対比。わずか数秒の場面ではあるけれども、この作品の大きなポイントになるシーンであり、そのシーンに賭けるスタッフの意気込みを感じさせられる「製作秘話」だと思う。
 そして、あらゆる映画作品の中でも、「これはすばらしいシークエンス」といわれるだろう、ラストの母子の再会のシークエンス。ここは、このシークエンスの始まりの、砂浜を歩む厨子王を上方から捉えたロングショット、砂浜に刻まれる厨子王の足跡(素晴らしすぎ!)とつづき、母を探し求める厨子王を追ったカメラは、島の娼婦宿から再び海岸へと至り、海藻を干す漁師との遭遇から、小屋のそばで歌を唱う母(田中絹代)との再会へと。
 抱き合う母子のショットは再び、離れた位置からのロングショットになり、海岸全体、海岸の向こうの島、無心に作業を続ける先ほどの漁師をとらえて「終」の文字が重なる。映画の終いの場面ショットとして、これほどの映像があるだろうか。宮川一夫のカメラの動きの素晴らしさ!(よく知られているように、ゴダールはその「気狂いピエロ」のラストシーンにほぼ同じような風景を選び、この「山椒大夫」へのオマージュを捧げたのだった)。

 さて、今回久しぶりにこの作品を観て思ったのは、フェリーニの「道」のことで、ラストの田中絹代ジュリエッタ・マシーナにみえてしまったこと。
 思ってみれば、厨子王が母の無事を知るのは、奴婢の女が歌う「安寿恋しや」の歌からのことで、ラストでも母はその歌を唱っていたわけで、そのことはシチュエーションは違うけれども、「道」のラストで、身を持ち崩して孤独になったアンソニー・クィンが、通りかかった家で洗濯物を干す女性が口ずさむ歌が、かつてジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)がトランペットで奏でたメロディーだったことからその女性に話を聞き、ジェルソミーナの「その後」を知って泣き崩れるという展開を思わせられるところがある(「道」でも、このラストのシークエンスは<海辺>なのではなかっただろうか?)。
 これって、「フェリーニはこの<山椒大夫>を観て影響を受けたんじゃないの?」などと思ってしまったのだけれども、調べてみると、「道」が撮られたのは「山椒大夫」と同じ1954年のことで、これはつまり、「シンクロニシティー」ということなのだろう、と思った。