ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-01-17(Thu)

 パソコンに、外付けのスピーカーを接続してみた。前のパソコンはもうずっと以前にイヤホンの端子口が壊れてしまって、せっかく買った外付けスピーカーもまるで使わないままだった。それでスピーカーをつけてさいしょに何を聴いたかというと、これがYouTubeからCurved Airの"Phantasmagoria"なのだった。意外と、「いちばんさいしょに何が聴きたいか?」と思い出したのがこのアルバムだった。


CURVED AIR -- phantasmagoria -- 1972

 わたしの持っている外付けスピーカーは小っちゃいのだけれども、いちおう真ん中にウーファーもついていて臨場感もあり、ひょっとしたらいつも使っているMDコンポより迫力あるかもしれない。それでこのアルバムの、アナログ版でいえばB面の展開はやはり圧巻で、特にブラスの加わった"Over and Above"はやはりすばらしく、ベースのMike Wedgewoodの飛び跳ね方は半端ない。久しぶりに聴くこのアルバムに、ついホロリと涙も流れたりする。
 そのあとはFairport Conventionの1971年のライヴとか、Miles Davisの"Jack Johnson"とかPentangleとか、ノンジャンルにあれこれと聴き、いつしか時も過ぎて行ってしまうのだった。

 それで今日、1月17日というのは、24年前に「阪神淡路大震災」の起きた日だった。わたしはあの頃は関西の嶋本昭三氏の率いる「AU(Art Unidentified)」のメンバーでもあったし、自分の「crosstalk」の準備とかで働いてもいなかったので、「何か手助けできることがあるのではないか?」と、震災から十日ほど経ってから関西へと出かけたのだった。
 幸い、「AU」のメンバーは皆ケガもなく無事だったけれども、嶋本さんをいろいろとサポートしていたHさんのお父さんが亡くなられた。このことが、結果としてHさんが亡くなられたお父さんの仕事を継がれることになり、アート活動から身を引かれることになるわけで、「嶋本氏の後継者」となるはずだったHさんの不在で、わたしの親しんだ「AU」は終わってしまうことになるのだった(今、いちおうそのあとを引き継いだという形で活動をしている団体はあるけれども、嶋本氏の精神を切り捨てた「非アート団体」ではある)。
 けっきょく、わたしが関西入りしたのは震災から十日も経っていたので、大まかなところでの片付けはほぼ終わっており、そのHさんのお父さんの葬儀をちょっと手伝ったぐらいのことしか出来なかった。それで現地の「AU」のメンバーの方から、「手助けはいいですから、この地の惨状をしっかり見て、写真に撮って帰って下さい」といわれた。
 それでわたしも被災地を見てまわり、横倒しになった高速道路、ひしゃげてしまった家屋、「建築というものは地面から垂直に立つものだ」という概念の壊されてしまうビル群を目撃し、何十枚もの写真を撮ってから東京に帰った。
 当時の写真はどこかにしまってあるはずだけれども、今、どこにあるかわからない。何とか探し出して、ここにもアップしたいと思っている。それで改めてあの震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、その後あの惨状からすべてを再建され、今の生活基盤をつくり上げられた方々に敬意をあらわしたいと思います。