ワニ狩り連絡帳2

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「定本 日本近代文学の起源」柄谷行人:著(岩波現代文庫)

定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)

定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)

第1章 風景の発見
第2章 内面の発見
第3章 告白という制度
第4章 病という意味
第5章 児童の発見
第6章 構成力について--二つの論争
  その一 没理想論争
  その二 「「話」のない小説」論争
第7章 ジャンルの消滅

 昨年「講談社文芸文庫」版で読んだものの再読。全体に手が加えられ、「第7章」が追加されている。読むのが二度目だったからか、著者の加筆修正によるものか、よく理解できた気がする(といっても、時間が経てば忘れてしまうのだが)。
 柄谷氏は、その「日本近代文学」の起源を明治二十年代のこととして、目次にあるように七つの章の視点からそれぞれの章で、まさにその事例をあらわした作家~作品を分析する。たしか講談社文芸文庫版の方に柄谷氏は「日本」、「近代」、「文学」、「起源」というそれぞれのワードに振幅があるようなことを書かれていたと思うが、この「定本」ではそのあたり注意深く(というか)、「日本近代文学」とひとくくりに書かれている。なぜなら、これを「日本」の「近代文学」と書き分けたり、「日本近代」の「文学」と書き分けたりすれば、「近代文学」であるとか、「日本近代」であるとか、そもそも「文学」とは何か、どう定義するのか、という問題を引き受けなければならないからだろう。
 読んでいけば、柄谷氏の考える「文学」、そして「近代文学」というものの差異は読み取れるし、当然「日本文学」全体と「日本近代文学」との差異もあらわされる。それはつまり、「文学」から俯瞰した「日本の近代」の精神ということでもある。そしてそこに、明治維新の開国による海外(もちろん、主に西欧)からの文化(ここでは「文学」)の流入、影響による「新しい視点、方法による文学」が産み出される。それこそが「日本近代文学」である。

 第1章「風景の発見」は、夏目漱石の「文学論」(1907)への考察から始まる。これは夏目漱石のイギリス留学体験を経て、大学講師時代の講義ノートをまとめたもの。そこに彼は、「余はこゝに於て根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心したり。」と書く。まさにこの書物の出発点にふさわしい引用であろう。ここでまず、漱石がイギリスで学んだ(読んだ)イギリス文学~西欧文学のことが考えられているわけだが、漱石は率直に「西欧近代文学」への違和感を語る。このことは最終章へと引き継がれる問題なのだけれども、このように、ただ「西欧文化」を摂取すればいいのだ、というところからの「距離感」から、「日本近代文学」は始まる。それはもちろん、現代において考えられる「オリエンタリズム」によるものではない。ここで漱石は「西洋の絵画史」を引き合いに考察を続けるのだが、漱石のことはひとまずおいておいて、柄谷氏はそこから「絵画における風景」という視点で、「日本近代文学」の起源をみようとする。
 そこで柄谷氏が注目するのは、国木田独歩なのだった。彼こそが、「風景」を「近代」の視点であらわした人物として。‥‥彼の作品において、彼が目にする「風景」とは、それまでの「花鳥風月」的な、絵はがきのような名所旧跡を文章化したものではなく、「さりげない、どこにでもあるような風景」を書いたものであると。ここに、「風景の発見」がある。
 わたしは国木田独歩という人物の、その名前こそは知っていた(作品として「武蔵野」とかの記憶はある)が、いったいどういう人物なのかということは何も知らなかった。勝手な思い込みで、メガネをかけてカマキリのような容貌をした老作家というイメージがあったのだが、それはあなた、まったく別の作家ですよ。実のところ国木田独歩は36歳で夭折した作家で、経歴を読むとあれこれと興味深い作家だということがわかった。こんど、彼の作品を読んでみたいと思ってしまった。

 いけない、こんな調子で書いていたら、肝心の「日本近代文学の起源」と同じぐらいの分量の「感想」になってしまう。ちょっと駆け足で書こう。

 第2章「内面の発見」はつまり、「言文一致」とはどういうことだったのか、という考察でもある。ここでがんばったのは二葉亭四迷だった。彼は「新しい文体」を求めて「浮雲」を書くわけだけれども、じっさいに以後、同時代的に影響を与えたのは彼の翻訳、特にツルゲーネフの「あひびき」なのだった。そこには彼の翻訳姿勢、「逐語訳」をこころがけた、ということが「新しさ」だった。一方に、正岡子規の「写生文」というものもあった。

 第3章「告白という制度」では、明治の近代日本文学黎明期において、キリスト教の影響がいかに強かったかということをみる。先にあげた国木田独歩もクリスチャンだった。そしてここで田山花袋の「蒲団」という、「つまずきの石」があるのだが、まずは内村鑑三という人物の分析。「精神革命」を求め、キリスト教へと向かった人物ら。「告白」とは、主体を確立するための「制度」であった。

 第4章「病という意味」、文学者にとっての「病」というロマンの意味。特に「肺病」~「結核」。これは日本だけのもんだいではなく、あのパーシー・ビッシュ・シェリーなども「肺病を病んでこそ作家の仲間入りが出来る」みたいなことを言っていた(これはこの本に書いていたことではない)。それに対して、ここでは正岡子規の「病状六尺」が提示され、「旧的な作品」として徳富蘆花の「不如帰」が対比される。

 第5章「児童の発見」、「子供」と「大人」とは、いったいどのように分離されるのか? ここでは文化人類学的な視点をからめながら論が進むが、この章の最後は、「樋口一葉こそ、子供時代について書き、しかも「幼年期」や「童心」という転倒をまぬかれた唯一の作家であった」とある。

 第6章「構成力について」は、「遠近法」についての論。文学、エクリチュールにおいての「遠近法」論は面白い。ここで一気に、「日本近代文学」を離れ、文学論へと視野が拡がり、その視点からまずは坪内逍遥の「小説神髄」を批判する森鴎外の、「没理想論争」が分析される。さらに、芥川龍之介谷崎潤一郎の「話のない小説」論争が分析される。

 第7章「ジャンルの消滅」において、夏目漱石の考えた「文学」が分析される。読んでいて勝手な解釈だが、「漱石って、スーパーフラットだったのかよ?」みたいな。

 ‥‥すっごくいいかげんな要約、感想だったけれども、とにかくは刺激的、とっても面白い読書だった。これらの問題提起は「日本近代文学」に限らず、「日本近代美術」にもしっかりと応用できそうだし(というか、「風景」だとか「遠近法」など、モロに美術の世界の用語だし)、じっさいに多少、美術の世界のことも書かれてもいる。
 けっきょく、明治二十年代の日本の近代化、「日本近代文学」の生成をみるとき、もちろん先行する西欧文学を規範としたところが大きいのだけれども、その西欧文学にしても、どこかで「近代文学」へと変貌したわけだ。そもそも、「小説」とは西欧においてどのように変遷した歴史を持つのか。そういうところをバフチン(「フランソワ・ラブレーの作品と中世の民衆文化」)などを援用しながら、けっきょく夏目漱石の西欧文学への違和感、漱石が評価したフィールディング、そして何よりもスターンなどは、ひとまわりしたところで時代を超えていたのではないかということ。
 日本は短期間にそんな西欧文学を摂取しようとした中で、ルネサンス以降(いや、もっと以前からの)西欧における「小説」の変遷の歴史をも反復していたのではないか、という視点。文学に限らず、「日本の近代」とは何なのか、という大きな視点を持つ書物だと思った。また繰り返し読みたい本だ。