※ぜ~んぶネタバレしちゃってますので、御用心!
スウェーデンの雑誌「ミレニアム」の記者ミカエル(ダニエル・クレイグ)はヴェンネルストレムという大物実業家の武器密売をスクープするのだが、トラップにハマり名誉棄損で告訴されて敗北したところだった。そこにヘンリック・ヴァンゲルという別の大物実業家(クリストファー・プラマー)から連絡があり、40年前に失踪、おそらくは殺害された自分の孫娘ハリエットの謎を解明してほしいという依頼。仕事をやりおおせば、ミカエルが抱える訴訟を逆転させる証拠を提供しようというのだ。
仕事を受諾して、ヴァンゲル家の近くに住み込んで調査を始めたミカエルだったが、ヴァンゲル家の過去には殺害された多くの女性たち、ナチス党員だった男たちなどが浮かび上がってくる。ここでミカエルはエージェンシーの勧めで、リスベット・サランデル(ルーニー・マーラ)という、まだ23歳の天才ハッカー女性の助力を得ることになる。
リスベットは父親からDVを長年受けていて、彼を焼き殺そうとしたことで保護観察処分下にあり、彼女が信頼していた後見人が病気で倒れたあとの新しい後見人にレイプされたあと、逆に暴力的にその男に復讐したばかりでもあった。パンキッシュなヘアとピアス、そのメイクと「反社会的態度」の際立つ女性だが、そのハッカーとしての技量と記憶力は抜群のモノがあり、ミカエルとは「いいパートナー」となり、共に調査を進めるのだ。
映画はほぼ全編、ミカエルのパートとリスベットのパートとが絡まないまま並行して描かれる。この「別の物語」が同時進行して行く演出、そして編集が素晴らしく、ついに二人の物語が交叉して出会うとき、二人の目的こそ同じになるけれども、ちょっとしたディスカッションで捜索の方向を決めたあとは、やはりそれぞれの行動は別々に描かれて行く。
これが終盤、二人は互いに別のアプローチで捜索するなかで、ほとんど同時に「真相」にたどり着くところが、それこそ「フィンチャーの映画」だよな、という感じでカッコいいのである。
つまりヴァンゲル家の「惨劇」は、二人のヴァンゲル家の男によって引き継がれ、継続された「ミソジニー」じみた連続殺人事件だったわけで、このことはリスベットのこうむった「性的虐待」と共通するものなのだ。
けっきょく、その連続殺人を行っていた男が、実はいちばん熱心にミカエルの捜査を支持していたわけだが、彼は「自分はハリエットを殺してはいないし、ハリエット行方不明の謎が解けることは歓迎だ」とでも思っていたのだろうか? いやしかし、ミカエルの部屋に出入りしていた「キャット」という名のネコを惨殺したのは(かわいそう!)その男以外には考えられない。ミカエルを支持したフリをしたのは、家長のヘンリックへのポーズだったのだろうか。
ここで犯人は「真相を知った」ミカエルを捕え、今まで何人もの女性を殺してきた地下室でミカエルを拷問して殺そうとするわけだが、ここでなぜか犯人がオープンリールでエンヤの「オリノコ・フロウ」をかけるものだから、「え? それって?」って思うのだが、これはデヴィッド・フィンチャーはこのシーンに関して「犯人は殺人は好きではないし、人の叫び声を聞くときには好きな音楽を聞きたいと考えるような男だ」と語ったとき、ダニエル・クレイグが「では『オリノコ・フロウ』をかけようよ」って決めたらしい。しかし、さいしょのテイクで「オリノコ・フロウ」が流れたとき、スタッフもキャストも爆笑してしまい、撮影にならなかったらしい。
でも、ダニエル・クレイグは「007映画」のどれかに、この映画とそっくりな拷問を受けるヤツがあったような。
このあと、「真相を知った」リスベットが犯人の家の地下室に来て、犯人をゴルフパッドで殴ってミカエルを助けるのだ(逃げる犯人を追うとき、リスベットがミカエルに「May I kill him?」って聞くのに痺れる)。
行方不明だったハリエットは実は生きていて、他の親族の助けを借りてイギリスへ逃れ、その親族の名をかたっていたわけだった。
事件の解決を知ったハリエットは40年ぶりにスウェーデンに帰国し、ヘンリックと再会するのだった。
しかし、ヘンリックがミカエルにくれたヴェンネルストレムの裏情報は、期待したほどのものではなかったのだった。
さてここからは、レスビットが「ではわたしが何とかしてあげよう!」とばかりに、まるで「レディー・ガガ」かよ!ってばかりの変装をし、007張りの「女スパイ」みたいな活躍をみせてくれる。もう、観ていればレスビットに惚れるしかないのである。
ラストは「わたしだって素顔は23歳の若い女の子よ!」とばかりの素振りを見せるのだけれども、その結末はちょっと切ないモノだった。
全編を観て思うのは、この作品はミカエルよりもはるかにレスビットの内面に寄り添った作品になっている、ということ。それは扱われたメインの「性犯罪」が、レスビット自身がそれまでにこうむって来た性犯罪の被害者だった、ということでもある。さらに作品全体を通じて展開をリードするのはレスビットの方だろうし(ミカエルとのセックスでもリードする)、事件の重要な手がかりを先につかむのもレスビットだった(このことは、ミカエルの見つけた「メモ書き」が「聖書」のことだと気づいたのが、ミカエルのところに遊びに来ていたミカエルの娘だった、ということにもつながっていて、一種の「女性賛美」なのだろう)。そういう意味でもラストの、「普通の恋愛感情」に浸ろうとしたようなレスビットの「挫折」は、よけいに切ない。
こうやって久しぶりにこの映画を観たけれども、わたしがいちばん好きなデヴィッド・フィンチャーの作品は、この『ドラゴン・タトゥーの女』ではないだろうか、とは思う(フィンチャーの作品はどれもみ~んな好きだけれども)。そしてこの映画、ルーニー・マーラという女優さんの存在に注目させられた映画でもあった。この数年後にパトリシア・ハイスミスの『キャロル』が映画化され、ルーニー・マーラがキャロルに惹かれるヒロインを演じると知ったとき、「あのルーニー・マーラが!」と思ったものだったし、じっさいに『キャロル』を観たとき、彼女の、この『ドラゴン・タトゥーの女』との大きな差異におどろいたものだった。