ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ブレードランナー』(1982) リドリー・スコット:監督

 エポックメイキングな作品、「サイバーパンク」の開祖として知られる名作。わたしが観た感じ、この映画はヴィジュアル面で突出していたのだろうという感じで、ストーリー展開自体は50年代アメリカのノワール映画の伝統を継承しているように思え、そこまでに、この作品の展開に晦渋さを感じることはなかった。

 脱走した4人のレプリカント討伐のために駆り出されたデッカード(ハリソン・フォード)は、見た感じそこまでに「有能」というところでもなく、「探偵」としては発見した「ヘビのうろこ」一発からすべて乗り切ったようなところがある。あとは遺伝子技師のJ・F・セバスチャンの存在、彼の部屋で彼が創作したクリーチャーの存在が面白かった。

 ラストのビル屋上でのデッカードと生き残りレプリカントのバッティ(ルトガー・ハウアー)との対決シーンは、舞台設定もSFではなく50年代ノワール映画のようだった。

 わたしはデッカードもまた「レプリカント」だろうという解釈で見たし、最後にデッカードの伝達役のガフが、デッカードがかくまっていたレイチェルに関して「彼女も残念でした。短い命で」と語る言葉も、デッカードのアパートのドアの外にガフお得意の「折り紙(ユニコーン)」が置かれていたところからも、ガフはすべてを承知の上で(デッカードがレイチェルをかくまっていることを承知で)デッカードとレイチェルとを「見逃がした」のだと思った。
 

2022-11-20(Sun)

 今日は日曜日なのだが、今のわたしはテレビの番組の変化で「ああ、今日は日曜日なのだな」と知るぐらいのものである。日曜日の朝必ず見るのは「さわやか自然百景」。この日は北海道の西興部村というところの牧草地の紹介で、牧場のそばの水辺で水を飲む牛の姿がかわいかった。珍しく、撮影するカメラに牛がカメラ目線でちょっかいを出した。もちろん、鳥たちや昆虫たちの姿もたくさん見ることが出来た。

 わたしもこの日はじっさいに鳥たちの姿を見ようと、「ふるさと公園」へ行こうと思っている。実はこの20日という日は、ふるさと公園の近くのドラッグストアで、貯めたポイントが1.5倍で使えるのだ。
 世の中にはもっと利幅の大きなポイント制度もいっぱいあることと思うが、わたしはずっと以前から、このドラッグストアでのポイント制度を利用している。まあこのポイント制度はこのドラッグストアに限らず、北のスーパーでも(それ以外のいろいろなところでも)付加してくれるのだが、じっさいにポイントを使うのはこのドラッグストアだけだ。
 このドラッグストアのいいのは、Amazonのギフトカードを買っても1パーセントのポイントが付加されることで、もちろんAmazonのサイト上からクレカで購入してもAmazonのポイントも付くのだが、1万円のギフトカードを買っても0.5パーセントのポイントと、このドラッグストアで買うよりもポイント付加率は低い。2万円以上買うとようやく1パーセントと、ドラッグストアと同率になり、4万円以上で1.5パーセントになるが、これはこのドラッグストアの毎月20日の「ポイント1.5倍」というのと同じ。Amazonで9万円以上買うとようやっとポイントは2パーセントとなり、このドラッグストアでは追いつけなくなる。しかし、わたしはいちどに9万円ものギフトカードを買うほどにリッチではないのだ。
 そういうわけでわたしは、Amazonのギフトカードを買うのはこのドラッグストアがいちばんだと思っている。

 というわけでこの日は、そのポイントの消費と、新しいコンデジで「ふるさと公園」の野鳥を撮影しようと、二つの目的があるのだった。
 天気予報ではこの日は一日曇天で、夕方からは雨、昼前にもちょびっと雨になるだろうかと言っていた。気温は低く、「そろそろ冬だなあ」というあんばいではあった。

 今までもそのドラッグストアと「ふるさと公園」とを歩いたことは何度もあるが、いつもは(仕事の帰りに行った都合もあり)まずはドラッグストアへ行き、そのあと「ふるさと公園」を通り抜けて帰路に着いたのだったが、今日はまずは「ふるさと公園」に行き、そのあとドラッグストアから駅の方に抜け、「野良ネコ通り」を通って帰ろうという、いつもとは逆のルートを考えた。

 今までだと「ふるさと公園」を抜け出てウチに向かう道が単調で、途中で「なかなかウチに着かないなあ」とうんざりしていたものだけれども、この日は同じ道を歩いてもウチを出たばかりで疲れもないし、「今日はどんな鳥が見られるだろうか」という期待があると、そういうウンザリした気分にもならないのだった。

 公園に足を踏み入れて、まず最初の池のほとりにオオバンたちが群れていた(写真は撮らなかった)。池には、カモたちが泳いでいた。おそらくはカルガモマガモとだろうとは思う(この二種は、見かけは似ているがちょっとちがうのだ)。
 まずはカルガモ。気もち良さそうにしている。

     

 それで、こっちはマガモだと思う。

     

 この日はこの公園には珍しく、何かイヴェントが催されるようで、あれこれとテントや大きなスピーカーが設置されていた。立てられていた旗などを見ると、「花と本のフェスティバル」とかいうことで、古本屋の出店も出ているみたいで、ちょびっと覗いてみようかという気もちも湧いたけれども、「これ以上本を増やしてもしょうがない」と、そういう気もちは断ち切った。

     

 このあと公園を出たところでまだまだ鳥たちの姿を見たのだけれども、長くなるし、きっと明日は外に出かけることもなく書くこともないだろうから、残りの鳥たちのことは明日書くことにしよう。

 もうひとつの目的地のドラッグストアに到着。店内をみてまわり、食パンやベーコン、ロースハムのパックなどを買う。ベーコンもロースハムも、最近見てまわった中ではこのドラッグストアがいちばん安い。マヨネーズも安かったのでカートに入れた。あと、今日は買わなかったが、パスタもこの店が他より圧倒的に安いと思った。次はココで買おう。
 レジに持って行って「ポイントを使って」と申告して支払おうとしたら、すべてポイント内でおさまって、一円も払わないで済んだのだった。ちょっと予想外だった。

 帰り道は「野良ネコ通り」を通って帰ったが、この日はネコの姿を見ることはなかった。

 帰宅したら、部屋の中にニェネントくんの姿が見当たらなかった。「どこに消えたのよ」と思って、押入れの中とか探ってみたら、いつもわたしが寝ているベッドの、布団の中にもぐり込んでいるのを発見した。やはりニェネントくんにも、この日はいささか寒いのだろうか。

 午後から「何か映画を観よう」と、『ブレードランナー』のDVDをプレイヤーにセットして観始めたが、これが「日本語字幕」の文字が「インク過多」でにじんでしまった印刷物のように文字がつぶれてしまっていて、ちょっと画数の多い漢字などはまったく読めないのだった。おそらくはこのDVDを買ったまま、今までいちども観たことはなかったのだろう。
 しかしコレは「不良DVD」で、今までに苦情など出ていなかったのかと調べてみたが、そういうのは見つからなかった。発売は1999年のようだが。
 けっきょく、「Amazon prime video」で無料で観られるようで、そっちで最初っから観直した。

 今日の食事は昼も夜も昨日のカレーで済ませたが、まだ多少残ってしまい、明日の昼食もまた「カレー」になることになった。
 

2022-11-19(Sat)

 昨夜寝るときに、胃の調子がおかしかった。昔患った胃潰瘍のような痛みがある。「いろんなところが順繰りに悪くなって、今度は<胃>かよ!」という感覚ではあった。今朝起きても下痢っぽく、まったく調子はよろしくないが、胃のあたりの痛みは消えてくれた。「これは昨日食べたものが悪かったのではないのか」とは思う。まず思い当たるのが夕食に食べたカップ麺の「わかめそば」というヤツで、昨夜は何をつくるのもめんどうで久しぶりにカップ麺を食べて夕食にしたわけだが、これがすっごく不味かった。
 だいたいわたしは「カップ麺」というヤツが口に合わず、この何年もほとんど食べたことがない。ひょっとしたら「賞味期限」が切れていたかと思い、ごみ箱に捨ててあったカップ麺のパッケージをチェックすると、今年の11月18日ということだった。まさに食べた昨日の日付。やっぱコレがヤバかったのかとも思うが、「賞味期限」というのはそんなに厳密なものではないことはわたしも良く知っている。保管場所が悪かったのだろうか?
 あと思い当たるのが、昨日買ってポリポリと食べた中国産の落花生で、「胃に悪かった」というのでは、この落花生の方こそではあっただろう。
 昼までには胃の調子も回復し、元気になったのでいいが、もうこの落花生は食べない方がいいかもしれない。

 今日も天気が良く、けっこう暖かいので、何を買うというのでもなく北のスーパーへ買い物に出かけた。豚のレバー肉、それから玉子、そしてニェネントくん用に「ちゅ~る」を買った。「ちゅ~る」の買い置きはウチにもあるのだけれども、わたしはめったなことでニェネントくんに「ちゅ~る」をあげない。でも、ネコたちが「ちゅ~る」が大好きなのはこれは「普遍的な真理」なわけだし、これからはもっと積極的に、ニェネントくんに「ちゅ~る」をあげようとは思っているわけだ。
 買い物の道の途中で、黄色い実のいっぱい実っている木を見て、「あれは<柿>だろうか?」と思ったが、近寄ってみると柑橘類なのではあった。

     

 この日はずいぶんと久しぶりに、「カレー」をつくることにした。
 料理として、野菜と肉をちゃっちゃっと炒めたりでつくっちゃうような料理より、「これは大物」という献立がある。それは「肉じゃが」であるとか「シチュー」であるとか、「カレー」などであろうか。煮込むのに時間をかける。本格的な料理という気になる。こういうメニューは、いちどつくるとだいたい3食分はあるわけで、つくるときは多少手間だけれどもあとが楽である。そういうのでは先日やった「おでん」とかもそうだけれども、「おでん」はどっちかというとただ材料を温めるだけで、あんまし「料理をつくった」という感じがするものではない。

 でも今日のカレー、先日「おでん」をつくったときに、ジャガイモを先に下茹でしてあとでプラスしたらけっこう美味しかったものだから、このカレーでも同じようにジャガイモは先に軽く茹でて、あんまり他の惣菜といっしょに煮込まないようにしてみようと思って実行した。
 ほんとうは出来合いのカレールーなど使わずに、いろんな調味料を合わせてカレー味にしたいのだけれども、まだまだウチにカレールーの買い置きがけっこう残っているので、そういうことをじっさいにやってみるのは当分先の話であろう。まあ買ってあった「カレーパウダー」をあとでプラスして、けっこう辛味の強いカレーにはなったが、やはり既製のカレールーでつくると、ドロドロになってしまってわたし好みではない。
 さて、下茹でして加えたジャガイモだが、おでんの場合はそれでけっこう美味になったけれども、カレーの場合はやはりいっしょに煮込んで、少し煮崩れするぐらいになった方が美味しいのだということがわかった。

 とにかくは、この夕食と明日の昼食、そして夕食とはこのカレーですませることになる(なんだか今日は、食べ物のことばっかり書いてしまった)。
 

2022-11-18(Fri)

 考えてみれば、今日で前の仕事を辞めてから(解雇されてから)ちょうど一ヶ月になるようだ。そんな日に合わせて、「離職票」が、ウチに届いた。これでちゃんと市役所に申請すれば、最長180日間にわたって今までの給与額の50~80パーセントの額が「失業手当」として支給されるのだという。わたしは今までに何度も何度も仕事を辞めたことがあるけれども、おそらくはこうやって「離職票」などというモノを受け取るのは初めてのように思う。もちろん、「失業手当」などというものを支給されたおぼえもない(これもわたしの「記憶障害」かもしれないが)。
 自分が今すぐ働ける身体だとは思えないけれども、市役所に行ってこの「離職票」を提出し、「働きたい!」という意志表示をすればいいのだ。そういう「意思表示」は、しっかりとやりたいと思っている。しかし、また市役所に行かなくってはならないのか。

 この日は、月曜日以来の「外出」をして、西の駅前の馴染みの小さなスーパーへ買い物に行った。つまりは朝食で毎朝食べているバナナがもうなくなるので買いに出たわけだ。いつもはバナナを買うのは北のスーパーなのだけれども、せっかく新しいコンデジも買って、北のスーパーへの道は殺風景だから撮影のためもあって西に足を向けたともいえる。こっちには「野良ネコ通り」もあるし。
 この西の駅前のスーパーは、「スーパー」と呼ぶのは間違いだろうというような小さな店舗で、スーパーとしてはちゃんとした北のスーパーの五分の一ぐらいの敷地しかない(と思う)。それだけ店頭に並ぶ品も少ないのだけれども、まずは野菜類がめっちゃ安いし(先日も白菜一株を100円で買った)、それ以上にめっちゃ安い特価品もよく店頭に並んでいる。以前は肉類が賞味期限が迫るとすぐに「半額」にされていて、わたしとしてはそれを目当てにしていた時期もあったが(すぐに冷凍保存すればいいのだ)、さすがに最近そういう乱暴な値引きはしなくなってしまった。この日はバナナを買い、それと某有名メーカーの「すき焼きうどん」(二人前)が特価で売られていたのが、さらに「賞味期限間近」ということで半値。54円で売られていたのを買った。これで今日の昼食、明日の昼食はこの「すき焼きうどん」になるのだ。あと、中国製の落花生の大きな袋詰めも買った。この店の店員さんにはすっかりわたしの顔を覚えられてしまっていて、レジでは「いつもありがとうございます」と声をかけられてしまう。悪い気はしません。

 帰り道、「野良ネコ通り」にもネコたちの姿は見られず、ちょっと寂しい思いもしたが、このところよく見かける「ハクセキレイ」がわたしの前を飛んでいて、電線にとまるのだった。新しいコンデジでズーム撮影してみたら、前のカメラに劣らずにきれいに撮れたと思う。どうだろう。

     

 そして、ウチのそばまで戻って来ると、近くの家で飼われているいつものワンコくんが庭先まで出て来ていて、わたしに微笑みかけてくれているようだった。この写真も「バッチリ」だろう。

     

 もうほとんど腰の痛みもなくなり、ただベッドから起き上がるときだけちょっと傷む。今日もこうやって最寄り駅まで歩いて戻って来ても、歩いていてふらつくこともないし、疲れもほとんどない(ちょびっとあるけれどもね)。これで腰の大きな黒い痣が消えたら、「全快」と言ってもいいだろうか。あと2週間ぐらいかな、とは思う。
 

『エクソシスト』(1973) ウィリアム・ピーター・ブラッティ:原作 ウィリアム・フリードキン:監督

 先日観た『羊たちの沈黙』は、サスペンス/ホラー映画へのそれまでの見方を変えさせた傑作だったけれども、この『エクソシスト』もまた、それまで「キワモノ」と見られていた「悪魔モノ」「オカルト」のホラー映画に芸術性を認めさせるものだったと思う。
 また、このような「悪魔憑き」を思わせる「ポルターガイスト現象」や「ラップ現象」は現実世界で実際に起きて報告されていて、この映画にリアリティを与えていただろうと思うし、ウィリアム・ピーター・ブラッティの原作もウィリアム・フリードキンの演出も、その「リアリティ」を裏切らないシリアスなものではあった。

 この映画でひとつ白眉なのは、単に「悪魔祓い」のドラマではなく、その「悪魔祓い(エクソシスム)」を行う二人の神父の内面と、この「悪魔憑き」現象との連関を追い詰めて描いていることで、特に「悪魔祓い」のときにメリン神父の助手として付き添う、当の家族と先に知り合っていたデミアン・カラス神父の描写が、この映画の主題とも言える大きなドラマを孕んでいる。

 このカラス神父が、クリスチャンであるとともに精神科医でもあるということがひとつ大きなファクターになっていて、彼の「迷い」もそこから来ているのだろうと思わせられる。そのことに加えて、一人暮らしをしていたカラス神父の母親の生活ぶりに不安も持っていたし、じっさいに母親から訴えられもしていた。そんな母親を施設に送り、そこで彼女を死なせてしまい、その臨終の場にも立ち会えなかったことが彼の大きな「痛恨」になっている。
 そこにリーガンに取り付いた「悪霊」の立ち入るところとなり、悪魔はカラス神父の母親とその死のことを知っていてカラス神父をなじるのである。この映画のラストは、その「悪霊」を自分の中に呼び寄せて自ら死を選び、そのことで「悪霊」を退治/退散させたといえるけれども、それは同時にカラス神父の内面において、クリスチャンには忌避・禁止されている「自死」を選んだものとも言えるだろう。このラストは幾重もの意味を孕んでいて面白い。

 メリン神父に関して言えば、この映画は冒頭にメリン神父がイラクでの遺跡発掘作業のシーンから始まり、メリン神父はそこで発掘した古代の異教の悪魔の首、その地に隆立するその悪魔像に心揺さぶられるのだが、リーガンへの「悪魔祓い」の終盤、彼自身も息絶えようとするときに、室内にそのイラクの異教の悪魔像を見るのである。
 しかしこのシーンはメリン神父の「主観映像」ともいえるわけだし、リーガンに取り付いた「悪霊」がカラス神父に彼の母のことを思い出させたように、メリン神父にそのイラクの異教の悪魔の姿を見せたのも「悪霊」の仕業(もしくは死を前にしたメリン神父の「妄想」)ではあり、この「悪霊」イコール「イラクの異教の悪魔」と断定できるものではないと思う。ここにも、幾重もの意味が含まれていただろうか。

 途中、刑事役でリー・J・コッブが登場して来て、わたしは観ていて「はて、この俳優さんの顔は見覚えがあるのだけれども誰だっけ?」としばらく考え、ようやくリー・J・コッブの名前を思い出したのだけれども、どうもこの緊迫したドラマの外側からやって来た彼の容姿を見ていると、なんだかそこだけ50年代のノワール映画を観ているような錯覚に陥ってしまった。

 この映画はマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」をサントラで使ったことでも有名で、わたしもそのあたりを気にとめて観ていたのだけれども、テレビの音量が小さすぎて、ラストのクレジットで聞き取れた以外で確認は出来なかった。残念。

 この映画のポスターにも使われている、夜にメリン神父がリーガンの家に到着するシーン、これはマグリットの作品「光の帝国」を参考にしたのだという。美しい。

     

2022-11-17(Thu)

 今朝はすっかり腰の具合も良くなり、昨日の朝のあの激烈な痛さは何だったのだろうかと思ってしまう。別にそんな腰の具合を気づかったわけではないが、今日も一歩も外に出ない一日になった。あんまり引きこもってばかりで歩くことさえしないと健康に良くないのだが。
 そういうわけで、「今日の一枚」もまた、ニェネントくんである。

     

 仕事をやめてから「目覚まし」のお世話にはならなくなったのだが、このところは自然と、朝の7時ぐらいに目覚めて起きるようになった。ただ夜床に就くのは仕事していたときの習慣で、どうしても8時ぐらいには「もう寝よう」とベッドへ行くことになる。それでも朝起きるのが7時なのだから、以前のように眠くはならず(仕事をしていた頃は夜はだいたい8時に寝て、朝3時半に起きていたのだ)、ベッドの中であれこれ考え事をして寝付かないでいる。けっきょく眠れないで起き出してリヴィングへ行き、タバコを吸ったりする。そうすると和室で寝ていたニェネントも起き出してリヴィングへ移動して来て、わたしのことをウォッチング出来る場所ですわり込んでしまう。それで一服し終えたわたしが和室へ戻ろうと立ち上がると、ニェネントは「もう戻るのね」って感じで、わたしを先導して和室へ行くのである。

 今はサブスクで配信されている映画を観ることもないのだけれども、持っているDVDをどんどん観て行こうという気分でいる。自分で持っているDVDは、基本的に観たことのある作品ばかりなのだけれども、この「記憶障害」のおかげで、ほぼすべての作品の内容は記憶していない。映画によってはおぼろげにその映画の全体の雰囲気は記憶していたり、あるシーンだけ鮮明に憶えていたりするけれども、もうどんな映画だったかまるっきし思い出せない映画もいっぱいある。
 月曜日は『羊たちの沈黙』を観たのだけれども、今日は昼から『エクソシスト』を観た。前にも書いたが、今はあんまりカルト度の高い作品を観るより、一般的にもヒットした作品から観始めたいと思っている。まあヒット作のDVDをそんなにたくさん持っているわけではないが、これから『ブレードランナー』、『グッドフェローズ』、『ミスティック・リバー』などというあたりを観ようかと思っている。あと、50年代の古い映画の廉価版10枚組セットなどというのも2~3持っているので、こういうのを順に観ていれば年を越せるのではないかと思う。むむ、サブスクの視聴料もしっかり払っているから、そっちの方は「ムダ」にしていることになるが。
 

『キャッチ=22』(上)ジョーセフ・ヘラー:著 飛田茂雄:訳

 ようやく上巻を読み終えたが、まだ全部を読み終えたわけではないので、感想を書けるわけでもない。ちゃんとした感想は、下巻まで読み終えてから。
 ただ今の時点で何か書くならば、この不条理でナンセンスな小説にはどこかトマス・ピンチョンの作品(とりわけ『重力の虹』かな?)を思わせられるところもある。
 この上巻での時系列を壊した進行ならば、わたしの頭脳程度に合致しているようでもあり、楽しく読むことが出来たと思う。下巻が楽しみである。