ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ミッドウェイ海戦』(1942) ジョン・フォード:監督

 従軍したジョン・フォード自らカメラを手に撮影したというが、彼自身がゼロ戦の掃射を受けて重傷を負ったという。第二次世界大戦のドキュメントでは珍しいカラー映像。戦闘の記録というよりも、その戦闘の背後にあるものに目を向けようとした演出で、その中に「ドラマ」を見ようとしている。さすがジョン・フォード
 この短いフィルムのはじめと終わりに、ミッドウェイ島に生息するカモメの生態をとらえる映像がはさみこまれる。カモメには「戦争」はあずかり知らぬことなのだ。アメリカ兵をとらえた映像も構図に凝っているというか、ドラマ性を持ったナレーションを含めて、一般の「戦争ドキュメント」とはちがうだろう。
 短い戦闘シーンの映像のあと、海上で行方不明になったアメリカ兵を捜索する模様、何日も経って救出されたアメリカ兵の姿が写される。こういうところに、「人間一人一人の生命こそが大切なのだ」というメッセージを感じる。逆に、野戦病院赤十字マークの存在にもかかわらず攻撃した日本軍への怒りは強く語る。この短いフィルムのラストは、この戦闘で命を失ったアメリカ兵への軍葬の映像。ジョン・フォードヒューマニズムを感じる。

 そのあとはぜんぜん違うフィルムで、アメリカ陸軍通信部隊製作による「Appointment in Tokyo」というドキュメントで、邦題は「米機動部隊の逆襲」とされ、主にフィリピン群島での戦いを中心に記録されている。最終的には終戦後の、戦艦ミズーリ上での日本の降伏文書調印のシーンまで含まれ、ドキュメント中に日本側の撮影による映像もあるところから、終戦後に編集・作成されたドキュメントなのだろう。
 ここにはいろいろと今まで見たことのなかった映像が含まれていて、わたしとしては興味深かった。いきなり、短いが「バターン・死の行進」の捕虜たちの映像もみられる。そのあとは連合軍による攻勢の映像になるけれども、レイテ島への空襲のシーンなどをみていると、「ああ、このレイテ島に大岡昇平もいたわけか」などと思ってしまう。
 それと珍しい映像としてマニラ市での市街戦の様子がいろいろと記録されていて、「太平洋戦争にもこのような<市街戦>というものがあったのか」と、ちょっと驚いてしまった。ここではマニラ市民も巻き込まれて痛々しいのだが、日本軍は「フィリピン人は殺してしまうように」との指令を出していたという。のちに沖縄戦アメリカ軍が多用することになる「火炎放射器」を使用しているさまが見られる。
 終盤には「原子爆弾の威力によって日本を降伏させた」というような場面があり、戦争終結後すぐにはこういう認識だったわけだということがよくわかる。
 

2020-07-07(Tue)

 ニェネントの、鼻の黒ずみはこういう感じ。特にどうということはないと思うのだけれども、せっかくの美貌が‥‥。

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 九州の豪雨はだんだんと東にも移動してきて、今日は岐阜や長野で強い雨だという。このあたり、東京周辺でもケータイには独自の警報が流れてきて、「千代田区でこれから30ミリの強い雨になる」とかいうのだけれども、けっきょくはまるで雨にならなかったりする。帰宅してからもやはり「これから強い雨になるぞ~」とかいうもので、買い物に行くことも控えてしまうのだけれども、やはりほとんど雨は降らないのである。
 しかし今年の梅雨はほんとうに雨ばっかりで、梅雨に限らずとも、こんなに雨がつづく天候というのはここ何年かで記憶にないことだと思う。まあ「ひきこもり」しているわたしは仕事と買い物以外に外に行くこともないのだけれども、やはり太陽の光が恋しく思うし、洗濯も出来やしない。湿気もじと~っと世界を覆い尽くすし、おかげでニェネントの鼻先は「カビかよ?」というような状態になってしまったりする。

 パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』は何とか読み進み、明日には読み終えるだろうところまできたけれども、やはりこの翻訳は不快。わたしは以前にもこの本を読んでいるのだが、そのときには気にならなかったのだろうか。どうも、ポケ~っと、何も考えないで読んでいたのではないかと思う。まあ過去のことはどちらにせよ記憶から消えてしまっているのだけれども、以前には今回読んでいるような読み方はしていなかったのではないかと思う。わたしも多少は進歩したのであればいいが。

 夕方からは「GYAO!」で「第二次世界大戦ドキュメンタリー」シリーズ、ジョン・フォードが監督したという『ミッドウェイ海戦』を観た。これはちょっとインチキで、ジョン・フォードの『ミッドウェイ海戦』は冒頭の20分弱しかなく、残りの1時間はフィリピンでの戦闘を中心にした「米機動部隊の逆襲」とかいうドキュメントなのだった。それでもわたしには知らない「戦闘」で、いろいろと興味深い映像の連続だった。

 夕食は昨日の「肉じゃが」が再び登場。まだまだあるので、明日もまた「肉じゃが」になることであろう。
 

2020-07-06(Mon)

 ニェネントの、鼻すじのところ、鼻の頭よりちょっと上のあたりが黒ずんでしまった。汚れのせいではなく、前にかかった「ネコニキビ」に似ている感じだけれども、「ネコニキビ」は下あごに出る症状で、鼻には症状は出ないという。ネットで調べて、その症状の写真とニェネントの症状とではちょっと異なるのだけれども、「鼻カビ」という皮膚病の可能性がある。まああんまり「しろうと判断」はやらないで、動物病院に連れて行った方がいいのかもしれないな。「もう少し様子をみよう」というのは禁物なのだけれども、やはり「もう少し様子をみよう」。

 勤め先でわたしと同じ時間帯に勤務している「同僚」が、腸閉塞とかなんとかで入院し、これがけっこう長引くらしい。代わりの人間が本社から来るのだけれども、今までならけっこうわたしの勝手気ままやっていたところが、そうもいかなくなりそうであれこれと不便である。

 パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』を読んでいて、やはりヒッチコックの映画化したもの(もうぜんぜん記憶していない)を観たくなり、検索してみると「これはいい!」というセレクションの10枚組DVDが1500円ぐらいで売られていて、「ははあ、例のアレだな」とは思ったけれども、その10枚がどれもまた観てみたい作品だったので注文してしまった。まあ画質がちょっと落ちるぐらいのことで、大きな問題はないはずだ。

 冷蔵庫に、ずいぶん前に買ったジャガイモが転がっていて、それがどんどん芽を伸ばしてきていてすごいことになっている。ジャガイモは冷蔵庫で保存する必要はないのだが、外に放り出しておけば芽を伸ばさなかったりするのだろうか。
 とにかくは食べるなら食べるで早く処理しないといけないので、今日はい~~~っぱいジャガイモを使って「肉じゃが」をつくる。もうジャガイモは芽に養分を取られてヘロヘロになっているのだけれども、わたしは経験から、こ~~~んなになってしまったジャガイモでも、調理してしまえばちゃんと食べられることを知っている。とにかくは古代から、ジャガイモは人類にとって最優良保存食なのである。
 「肉じゃが」というのは日本人にとって基本中の基本料理で、ただ「肉じゃが」と打ち込んで検索するだけで、何百というレシピが登場してくる。本来シンプルな料理で、妙に手の込んだものをつくることはない。「ちゃっちゃっちゃっ」と具材を炒め、しょう油とかみりんとか料理酒とか砂糖をぶちこみ、「だしの素」とか入れて煮込めば放置プレイで出来てしまう「かんたん料理」なのだ。「おふくろの味」とかそういうものではない、「オレの味」なのである。まあわたしの気分としては「しらたき」はぜったい入れなくちゃね、ぐらいのもの。
 今日は冷凍庫で眠っていた牛肉を使い、かなり大量の「肉じゃが」ができた。自画自賛で美味である。これで明日も明後日も「肉じゃが」になるだろうか。

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『吉原炎上』(1987) 五社英雄:監督

吉原炎上 [DVD]

吉原炎上 [DVD]

  • 発売日: 2014/03/14
  • メディア: DVD

 タイトルバックに斎藤真一の絵が映されるのだけれども、この映画の原作(原案)はその斎藤真一氏の著作からなのだという。彼に瞽女(ごぜ)のことを書いた(描いた)『越後瞽女日記』などの著作があったことは知っていたが、遊郭のことも書いていたとは知らなかった。
 この映画は明治四十年から四十四年までの吉原遊郭が舞台で、その四十四年に「花魁道中」の花魁となり、すぐに身請けされて引退した紫太夫名取裕子)を主人公に、遊郭で身をひさぐ女性たちや、遊郭に通う男たちを描いた作品。ラストに遊郭は炎上し、江戸時代からの長い伝統はそこで途絶えたという(この吉原の大火は史実)。

 わたしは以前映画館のスクリーンでこの作品を観たことがあり、それなりに「面白い」とも思ったし、不満をも感じた作品だったが、久しぶりに観てもやはりだいたい同じような感想だった。

 ひとつ印象に残ったのは、これは「大部屋」というのか、遊女たちが部屋に集う中での女性ばかりでの「乱闘」騒ぎの喧騒というか、そりゃあ男衆のケンカとは違うわけで、男とは異なる「迫力」があるものだなあと(思い出してみれば、溝口健二や鈴木清純の娼婦を描いた映画にも、そういう女たちの乱闘はあったかもしれない)。あと、例の名取裕子と二宮さよ子とのからみというか、まあエロいのだけれども、そのさいごに裸電球を素手で握り割る場面には、さいしょはびっくりしたものだったな。
 それとやはり、ラストの遊郭の大火災は迫力があって(燃え過ぎ!)、もうこういう大がかりなセットをつくって、さいごにぜ~んぶ燃やしちゃうみたいな演出も、今の日本映画では不可能なことだろうなと思う。

 それで疑問に思うのは、全体に照明が明るすぎるのではないかということ。色彩設計もイマイチで、これは先日観た『四畳半襖の裏張り』の遊郭の描写の方がずっと優れていたと思う。この作品でも、終盤に根津甚八が居候する場末の遊郭の撮影、その暗さもよかったので、それは「高級遊郭」と「場末の遊郭」との差異を出したくてそうなってしまったのかもしれないが、もっと全体に暗くしてもよかっただろうとおもう。
 そして、まあひとつのクライマックスである「花魁道中」の演出というか撮影にも疑問がある。ここはもう、ただただ「絢爛豪華」というものを見せてくれないといけないのだけれども、それがカメラがいつも真正面からの撮影だけで、同じ位置のカメラからズームにしてみたり、フレームを変えてみても絵としては「単調」ではあろう。ここは2~3台のカメラを駆使して、正面からも横からも、さらには上からも撮らなくてはならないところだろう。このシーンはとにかく「残念」という印象。
 あとは登場する男たちの数が少ないというか、まあほとんど御曹司の根津甚八ひとりみたいなもので、しかもこの根津甚八名取裕子をひいきにしても、彼女をいちども抱かないのである。ただひとりフィーチャーされる男性客がそんなインポテンツみたいな男でしかないことから、この映画ではそういう「男と女」の濃厚なからみというシーンが、まるで存在しないのである。まあそういうのを目当てで観るわけでもないけれども、「遊郭」を舞台とした作品として、どこか「きれいごと」でやられてしまったな、という感想は持ってしまう(ここでも『四畳半襖の裏張り』に負ける)。

 しかし、このラストで吉原の大火の知らせを受けて、大事な「旦那様」を置いて燃え盛る吉原に戻るヒロイン、どういうことなのかちょっと理解しかねるのではあった。
 

2020-07-05(Sun)

 九州は今日も豪雨だというが、このあたりは昨日のように朝から曇天。午後には雨になるかもという。注文していた本(ナボコフの『ベンドシニスター』)が10時過ぎに届いたので、早いうちに買い物に行くことにした。今日は電車に乗って、2つ向こうの駅の前のスーパーに行ってみる。定期があるから電車代はかからないし、そのスーパーにはどこよりも安い価格で売られているものもある。しばらく行っていないので、久しぶりに行ってみようと。
 けっきょく大して買うものもなかったけれども、鶏レバー肉、レタス、バナナなどを買って帰った。清算を済ませたら来週一週間全品1割引きになるという割引券をもらえた。これはちょっと大きいから、また来週買い物にこようと思うのだった。

 買い物を終えて家に帰ろうとしたときに、ポツポツと雨が降り出してきた。スーパーで傘を貸し出してくれていたのだけれども、返すのがめんどうなのでそのまま濡れて帰った。そこまでの雨量にはならなかったので助かった。

 帰宅してちょうど12時で、ニェネントが「どこ行ってたんだよ!」みたいにふてくされてわたしを迎えてくれた。

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 でも、午前中に用事を終わらせて、ゆったりした気分だ。昼食はマルタイラーメンにキムチを入れてちゃっちゃっと済ませ、ベッドに寝転がって本を読む。読んでいるハイスミスの『見知らぬ乗客』はやはり訳文が読みづらくって、「これはきっと原文(英文)ではこういう表現になっていたのではないか」と逆に考えてようやくわかった感じになったりもするが、とにかくスムースに読み進められないのがつらい。しかし、「こんな話だったのか?」という感じで、ヒッチコックによる映画版をまた観てみたくなった(まるで記憶していないのだ)。
 あまり読書にも集中できず、しばらくパソコンでゲームとかやって、無駄に時間を費やす。いつものように「GYAO!」で何か映画を観ようと思い、明日で無料配信の終わってしまう五社英雄監督の『吉原炎上』を観た。むかし名画座に観に行った映画だ。

 今日は東京都知事選挙の投票日だった。わたしは開票の始まる時間にはもう寝ていたのだけれども、夜中に目覚めてケータイをみると、現職の小池百合子が早々と当選を決めたようだった。う~ん、安倍晋三首相はこのCOVID-19禍で国民のために「アベノマスク」と「じゅうまんえん」を配布しただけのようなものだが、小池都知事は安倍首相以上に「な~んにも」やっていないのではないのか。レインボーブリッジを赤い照明で照らしただけ。都民には「これからは<自衛>よ!」とのたまったような自治体のトップに、このままトップを任せてもいいと判断することがさっぱりわからない。どうせ何もやらないんだから、都庁の都知事の席にはネコでも座らせておいた方が人気が出ていいのではないか。「ネコ都知事」としていろんなグッズを販売すれば都の財政もうるおうことだろう。
 

『ルートヴィヒ』(1972) ルキノ・ヴィスコンティ:監督

ルートヴィヒ デジタル完全修復版 [DVD]

ルートヴィヒ デジタル完全修復版 [DVD]

  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: DVD

 豪華絢爛たる映像と重厚な演出。4時間の大作だけれども、飽きることなくあっという間の鑑賞だった。
 作品は19世紀のバイエルンルートヴィヒ2世の、即位から失脚、その死までを描いた歴史ドラマで、ルートヴィヒをヘルムート・バーガー、ルートヴィヒが唯一心を許したともいえるオーストリア皇后のエリーザベトをロミー・シュナイダーが演じている。ロミー・シュナイダーはそのキャリアの初期からエリーザベトを演じることで人気を得ていて、ロミーはエリーザベトの愛称の「シシー」と呼ばれたくらいだったという。ここでまたもやロミーがエリーザベトを演じたのは、逆に彼女について回ったその「シシー」のイメージを払拭するためもあっただろうか。
 そして重要な登場人物としてリヒャルト・ワーグナーを演じたのがトレヴァー・ハワード(たしかにワーグナーに似ているか)、そのワーグナーの愛人で、のちにワーグナー夫人となるコジマ・フォン・ビューローをシルヴァーナ・マンガーノが演じている。

 俳優陣も豪華だが、おそらくはこの映画の撮影で「セット撮影」というのはほとんどなかったのではないかと思われる。特に後半に姿をみせるリンダーホーフ城の、エリーザベトを案内役として観客に見せる驚異の黄金色の装飾過多ぶり、そして「ヴィーナスの洞窟」の壮大な舞台装置めいた造りなど、ただただ驚嘆してしまう(このシーンに登場するシェイクスピア役者と、ルートヴィヒのやり取りには笑ってしまうが)。

 一般にルートヴィヒ2世は「童貞王」だとか「バヴァリアの狂王」などと言われたりもするが、童貞の件はともかくとして、この作品では彼を「狂人」としては描いていないようだ。「自由」を夢見てワーグナーを保護しようとし、施政に興味を持たなかったことは描かれるが、ヴィスコンティはルートヴィヒの生涯をひとつの「不幸」、そして「孤独」と捉えていたようにみえる。
 映画前半にオーストリアと共にプロイセンと戦ったバイエルンだが、デュルクハイム大尉(のちに大佐)がルートヴィヒのもとに「敗北」を伝えにくる。このときにルートヴィヒはデュルクハイムに彼の考える「自由な生き方」について語るのだけれども、デュルクハイムは「それは特権的な自由で、ほんとうの自由はそういうものではない」と語るシーンがある。ここには「赤い貴族」と呼ばれたヴィスコンティの思想も反映されていると思えるけれども、ヴィスコンティにはそういう旧時代の消えていくさまを映像化するような姿勢がある。
 ちなみに、このデュルクハイムという男、ここではルートヴィヒに批判の言葉をダイレクトに投げかけるのだけれども、映画の終盤に再び登場し、それ以降彼こそがルートヴィヒを助け、守ろうとしていることがはっきりとわかったりする。

 施政に興味を失って新築のノイシュバンシュタイン城にこもり、頽廃の生活をおくるルートヴィヒは哀れだし、彼は自我というものを守ることに失敗したのだろうとは思う。「わたしは<謎>でありたいと思う」というルートヴィヒのさいごの言葉は、ヴィスコンティがルートヴィヒに抱いた気もちの表明でもあっただろう。
 

2020-07-04(Sat)

 熊本で集中豪雨。かなりの被害が出ていて朝からテレビはその報道ばかりをやっている。ウチのあたりは曇天で雨は降っていないので、朝から洗濯をしたりした。外に干すとそれでもかなり風が強いようで、干した洗濯物がよれよれになってしまった。午後になってケータイに「このあたりも激しい雨になる」という速報が流れてきて警戒していたのだけれども、けっきょく雨にはならなかったようだった。
 一方でCOVID-19の感染者は連日増加しつづけ、東京はまた新しい感染者が100人を超えたし、周辺の神奈川、埼玉、千葉でも感染者が増えてきている。
 報道では、西村経済再生担当大臣は「もう誰も緊急事態宣言はやりたくない」と発言したらしいのだけれども、Yahoo!に出ているアンケート調査では83パーセントの人が「緊急事態宣言の再発令が必要」と思っているようで、内閣政府との考えの落差がはげしい。政府は経済活動の活性化を重視して「COVID-19を怖れずに働け!買い物しろ!」ということなのだろうが、国民は奴隷ではない。COVID-19対策を何も施さないで「いつも通りの生活をしろ」というのは「健康な生活をおくる」という国民の生活権利への侵害ではないのかと思う。おりしも今からは子どもたちも夏休みに入るタイミングだし、政府は「いかにしたらCOVID-19のまん延を抑えられるか」をちゃんと考えて実行すべきときだろう。このままでは日本はアメリカ合衆国やブラジルのようになってしまうのではないか。

 昨日からパトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』を読んでいるのだけれども、先に読んでいた『変身の恐怖』の吉田健一訳の「名調子」のあとでは、文章が読みにくくってしょうがなくって、意味をつかむのに苦労したりもする。わたしが読んでいるのは古い角川文庫版だけれども、今は河出文庫でも新訳で出ているようだ。やはり角川版での翻訳は不評だったのかもしれない。
 ネットで『変身の恐怖』の読者レヴューをみると、訳文への批判がけっこう書かれていて意外に思う。おそらくは「吉田健一初体験」ゆえのことだろうけれども、まあミステリーの読者はいわゆる文学書など読まないのだろう。

 郵便受けをみると、注文してあったハイスミスの『世界の終わりの物語』が早々と届いていた。これはハイスミスの最後の短篇集で、今はそれ以外の、ハイスミスが選んだのではない短篇集も出ているけれども、まあこの短編集がラストだ。
 梱包を解いて中身を見てみると、なんと解説をナボコフ訳で知る若島正氏が書かれていた。こんなところでハイスミスナボコフがつながるというのも意外だった。というか、わたしは今ナボコフの『ベンドシニスター』も注文していて、その本もいちど配達されようとしていたようで、郵便受けに「不在連絡票」が入っていた。

 今日は午後から、「GYAO!」の無料配信でヴィスコンティの『ルートヴィヒ』を観るのだった。4時間たっぷり、豪華絢爛たる映像を楽しんだ。わたしが映画を楽しんでいるあいだ、ニェネントはテレビの横のパイプ椅子の上で、わたしに鼻の穴を見せてくつろいでいた。

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