ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-07-10(Wed)

 観たいと思っていた、ワイズマン監督のドキュメント『ニューヨーク公共図書館』が、来週から柏の映画館で上映されることになった。先週までは東京では岩波ホールで上映されていて、これがものすごく混雑していたらしい。「なぜ今とつぜんにワイズマンがヒットするのか?」という疑問はあるけれども、だいたい岩波ホールのチケット発売システムは前世紀のシステムで大入りしたときに対処しきれないし、そんな「すっごい混雑している」という報道をみて、「そうか、そんないい映画なのか」と付和雷同というかワイズマン監督のことなど知らずに観に行く観客もいる。そういうので岩波ホールが「上映期間延長」などせずに、さっさと他の映画館で公開されることになったのはうれしい(わたしは岩波ホールに行きたくないのだ)。
 それで、その柏の映画館で『ニューヨーク公共図書館』に先立って、今週一週間だけワイズマン監督の前作『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』を上映している。これもロードショー時に見逃していたので、ぜひ観ようといさんでいたのだが、スケジュール的に楽に観れる土日の休日に行けなかったので、今日行くことにした。
 上映が12時5分からの一回のみで、わたしは仕事のあとにふっとんで帰路に着いても、柏駅に着くのは12時10分。映画館は駅から5分かからないところにあるからいいけれども、冒頭の数分は観られないだろう。仕方がない。

 そういうわけで仕事を終えて飛んで帰って映画館へ行く。すでに上映の始まっている上映室に入ると、やはり『ニューヨーク公共図書館』ヒットの余波か、かなり混み合っているみたいだった。
 しかししかし、やはりワイズマン監督の作風を知らずに観に来ている人も多かったようで、早い人で始まって30分ぐらいで退散していく人も見られたし、もうちょっと我慢してもやはり逃げて行く人もそれなりにあったようだった。そういう、固定観念で観る人にはつらいところもあるだろうワイズマン映画。すっごい面白かったのに。

 この柏の映画館、やはり今観たいと思っていた話題の『新聞記者』も7月末には上映されるようで、「観たいな」と思っている映画はちょっと待っているとこの映画館で上映されることになるケースがとっても多い。逆に、そうするとわたしの知らない映画でもこの映画館で上映されるような映画はきっと面白いのではないか、とも思ってしまう。今の感じでは「関東地区ではいちばんの映画館」と言ってしまいたくもなる。そんな映画館がウチのとなり駅にあるというのは、とってもうれしいことだ。

 途中休憩を入れて4時間に近い映画が終了し、「ごはんまだかよ~」と待っているにちがいないニェネントくんの夕食のために飛んで帰る。
 わたしはかんたんな夕食にして、この日もまた新しいオーディオで音楽を聴きまくるのだった。
 

2019-07-09(Tue)

 今日はニェネントをむりやりに「ペット体重計」に乗せ、ニェネントが逃げてしまう前に一瞬、その数値を読み取ったけれども、まあ4.9キロというところだろうか。ぜんぜん問題はないだろう。しかし、この体重計はそうひんぱんには使えない気がする。

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 わたしの問題の「眼」の方はもうほとんどいいのだけれども、まだちょっとだけ違和感が残っている。その後ちょっと、「アレだね」という展開もあったのだけれども、ここに書くまでもなくすべて終了である。午後になって、ずっと京都に行っていたMさんが「Facebookを読んで知った」と、心配して電話して来てくれた。ご心配をおかけいたしました。

 近所のLAWSON100に買い物に行くのだけれども、このところ売り切れてしまった商品の補充がない感じになっている。ひょっとしたら「閉店」するのではないかと思う。けっこうこのところ「家計の助け」になっていた店だけに、なくなってしまうといろいろと考えなければいけない。何とか存続してもらいたいところではある。

 オーディオコンポをちゃんとセッティングして定位置に収め、いろいろな音源を聴いている。やはり音がいいのである。今まで聴き慣れていたモノも、このコンポで聴き直すと「こんな音だったのか!」と思ってしまうものが多い。「アレを聴いてみたらどんな音だろう」とか思って、いろんなCDを遅くまで聴いてしまった。YouTubeに接続しての音もいい。
 

『ピンフォールドの試練』イーヴリン・ウォー:著 吉田健一:訳

ピンフォールドの試練 (白水Uブックス)

ピンフォールドの試練 (白水Uブックス)

 面白い!面白過ぎる! これはイーヴリン・ウォーの1957年の作品で、主人公には多分にイーヴリン・ウォー自身の実像が反映されているだろう。

 主人公のギルバート・ピンフォールドは50歳。小説を何冊も書いている中堅どころの作家で、ロンドン郊外に奥さんと暮らしている(子供たちもいっぱいいるらしいが、この作品ではその子供たちの役割はない)。そんな彼が不眠症に悩まされ、「ゆっくりと療養し、作品を書くことに専念したい」とかいうことで、セイロンへの船旅に出る。かかりつけの医師からは睡眠薬を処方してもらっているのだが、どうもコレがよくなかったらしい。乗船した船の中の様子がだんだんにおかしくなり、船室で周りからの騒音に悩まされるが、そのうちに彼を襲撃しようというような会話も聴こえてくる。ジブラルタル海峡を越えようというときに夜中にスペイン軍が船に乗り込んできた気配で、船長らはスペイン軍への人質にピンフォールド氏を差し出そうと言っているみたいだ。ところが朝になるとスペイン軍の気配もなくなってしまう。しかし、船に乗っている船客ら皆がピンフォールドの悪口を言っている。

 ‥‥アレですよ。キンクスの曲に「Acute Schizophrenia Paranoia Blues」というのがあったが、まさにあの曲の世界である。キンクスの曲では「牛乳配達の男はスパイで、食料品店の店員はわたしを追い回している、そして隣に住む女性はKGBの手先である」とか、そういう「妄想」の歌なのだが、まさに主人公のピンフォールド氏はそのような世界に巻き込まれて行く。そして外の世界に逃れられない「船」での旅だということが、よけいに妄想に拍車をかける。
 この、船旅が始まってからの「あれれれれ?」というところからだんだんに状況がエスカレートして、ほとんどシュルレアリスムの世界へと飛んで行く、イーヴリン・ウォーの筆致を楽しむばかりである。そしてもちろん、吉田健一の名訳。

 そして、この作品を最後まで読むと、実はこのような体験をしたギルバート・ピンフォールド氏が、その帰国した時点からこの小説を自ら書き始めたことになっていて、一種円環構造なわけだけれども、そうするとあれれ?この小説が「三人称単一視点」であることは当然のこととして、この書き手自身が書いている物語の主人公に何が起きているのか知っている、というあたりで「素直に読む」ことができなくなってしまうような。
 まあ、ちょっとナボコフ的に「再読を促す」種類の作品か、とは思うのだけれども、すいません。わたしは再読していないのですね。

 あとはやはり、この巻末の「解説」の、吉田健一氏の「名文」ですね。この、あまりに句点の少ない、ある意味読みにくい文章の奥に、吉田健一氏の「小説」への愛が読み取れるのではないかと思いました。まあ吉田健一氏は多くのイーヴリン・ウォーの作品を翻訳し、彼にとってもウォーは自分の「分身」のように感じておられたところがあったのではないでしょうか。この「解説」、すばらしい文です。
 

2019-07-08(Mon)

 注文していたペットの体重計が届いた。ところが、これが超小型というかハムスターなどの体重を計るにはちょうどいいだろうけれども、とてもその上にニェネントが乗っかれるというような代物ではない。Amazonのページには小型犬がちょこんと乗っている写真が掲載されていたのだが、いったいどんだけ小型の犬なんやねんと思ってしまう。

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 しかしまた返品するなどというのも手間だし、ちゃんと現物の寸法も書かれているのを無視して注文したわたしも悪いぞ。どうも、このところAmazonでの買い物はトラブル続きだ。
 何とか使えるようにしようと、計量台の上にニェネントが入れるぐらいの段ボール箱を固定してみたが、安定が悪く、ニェネントを抱き上げて段ボール箱に入ってもらってもグラグラしてしまい、ニェネントはすぐに飛び出してしまうのだった。

 実は、先月からInstagramを始めている。さいしょのうちはFacebookと同じようにやっていたのだけれども、今は出来るだけ動物や植物などの自然界の写真ばかりにし、コメントも英語で書くようにしている。動物や植物の写真にしたのは自分の気もちをおだやかにさせるためで、それでじっさいにどれだけ効果があるのかはわからないけれども、Instagramで自分のページを開けば、自分の精神がそういう世界に振り向くようだから、いいのではないかと思う。
 コメントを英語にしたのはもちろんひとつには英語を使う練習で、それと、海外の人に見てもらえるといいという気分から。まだフォロワーは30人ぐらいに過ぎないけれども、海外の人もけっこういる。ただ、いちどアメリカの男性からメッセージをもらい、さいしょはきちんと答えていたのだけれども、「あんたの仕事は何ですか?」とか聞かれてイヤになってしまったりもした。
 この写真は、2~3日前にInstagramにアップしたもの。

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 読んでいたイーヴリン・ウォーの『ピンフォールドの試練』を読み終わり、多和田葉子の『雪の練習生』を読み始めた。

『アイデンティティが人を殺す』アミン・マアルーフ:著 小野正嗣:訳

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

 読み始めの冒頭のところの、「その人の<国籍>こそがアイデンティティとしてその人を縛る」というあたりの論調は興味深く、まさに今の日本でも「普通の日本人」と名乗るような人たちが半島出身の人たちを排斥しているところを読んだり見たりしてるので、「面白そうな本だ」と思ったのだが、その後はヨーロッパ視点の宗教からの視点に移行し、原則論、理想論になってしまった感がある。残念。
 

2019-07-07(Sun)

 さすがに梅雨真っ盛りで曇天ときどき雨。洗濯をするつもりだったが、この天候では今日中に乾くことはないだろう。まだ何とか今週いっぱいぐらい着るものはあるのでいいが、この週末か、もしくはその前に天気が良ければ「お洗濯」だ。
 なぜかウチのそばの道沿いに、子供用の雨靴が並べて置かれていた。とってもかわいいのだが、なぜここにぬぎ置かれているのだろうか。この靴を履いていた子はどうしたのだろうか?

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 買ったミニコンポ、まだ定位置に置いてなくて床に転がしたままになっているのだが、どうも聴いた感じの音が、そこまでにいいとも思えない。これは今あるコンポのスピーカーの方がいいのではないかという気になり、取り換えてみた。新しく買ったコンポのスピーカーはいちおう3ウェイなのだが、古いスピーカー(こっちは2ウェイ)と並べてみると奥行きがないというか、古い方が大きい。たんじゅんに「大きいスピーカーがいい音」などと言えるわけないのだが、スピーカーを接続し替えて音を出してみるとこれが一目瞭然というか「一聴瞭然」ですね、まったく問題にならないほどに古いスピーカーの方がいい音が出る。ちょっとだけ高音がシャカシャカするような気もするが、とにかくどうするかの答えは明らかすぎるというか、この新しいミニコンポ本体と、古いスピーカーとの組み合わせで行くことにした。
 それで昨日パソコンのイヤフォンジャックからコンポの外部入力に接続するコードを買ってあるので、これでパソコンとコンポとを接続し、YouTubeの音を聴いてみた。‥‥これもかなりイイ感じで、前は聴くに堪えられるものではなかったYouTubeの音も、充分に聴けるレベルのものになった。これはうれしいことである。

 ぼちぼちと読んでいた文庫本の『アイデンティティが人を殺す』を読み終えた。一昨日から図書館に借りたイーヴリン・ウォーの『ピンフォールドの試練』を読んでいてもうすぐ読み終えるが、これはめっちゃ面白い。
 

2019-07-06(Sat)

 眼の違和感が強くなった。昨日電話で「眼科医を紹介してほしい」と主催者に伝えたのだが、待っていると月曜日以降のことになってしまう。それで「手遅れ」になるかどうかわからないが、眼の状態が今現在良くない以上、待っているよりも自分で眼科医に行かないとならないだろう。午前中に、今まで何度か通った柏の眼科医に行った。
 かなり混み合っていて、午前中いっぱいかかってしまったが、事情を話してていねいな診察をやっていただいた。ただ、もし仮に「診断書」を書くとしても、検査の結果で「異状がある」とは出ないだろうから、そういう診断書しか書けない、また、症状としては一週間ぐらいで消えると思われるという話を聞いた。それはそれで仕方がない。じっさいに検査の結果、物理的に「ここに異状がある」ということはなかった。

 診察を終えて帰宅し、ちょうど家のドアを開けようとしたときに、その舞台の主宰カンパニーの代表のNさんから電話を受けた。Nさんのことはまるで知らない人ではないし、もうあまり事を荒立てようという気分でもなくなってしまっていたので、「もういいです」みたいな返答をして電話を切った。このことはもう終わりにしたい。

 さて、Amazonでミニコンポを一度返品して安いのに買い直したので、Amazonに5千円ぐらいストックがある。これを機会に、前から買おうと思っていたペット用の「体重計」を買うことにして、手続きをすませた。